羽黒山山頂に建つ出羽神社三神合祭殿は出羽三山信仰の中心となる存在で、月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した聖地。月山、湯殿山は、冬期間積雪のため参拝できないことから、三神を祀るようになったといわれています。明治維新以前の神仏習合時代には大堂、本堂、本殿、本社などとも称され、羽黒修験の根本道場にもなっていました。国の重要文化財。
出羽三山信仰の中心となる聖地で羽黒山上に鎮座
中世、羽黒修験は、『義経記』(「判官北国落の事」)の中で、平泉に下る義経主従が身をやつした山伏として語られるほど、有名でした。
近世にかけて関東以北の修験の大道場として繁栄していました。
出羽神社三神合祭殿は、主に杉材を使用し、内部は総朱塗りで、茅葺きの豪壮な建物。
現在の建物は、神仏習合の羽黒権現時代(権現=仏や菩薩が仮=権に姿を変えて日本の神として現れること)の文政元年(1818年)に建築費5275両を費やして再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
建築当初は赤松脂塗りでしたが、昭和45年~47年に朱塗りに変更されています。
社殿は羽黒派の古修験道独特の合祭殿造りで、神仏分離後は、正面中央に月山に祀られる月読命(つくよみのみこと)、右に羽黒山の伊氏波神(いではのかみ=稲倉魂命)、左に湯殿山の大山祇命(おおやまつみのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと=大国主)、少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀っています。
前方の鏡池は、神秘の御池として古来から信仰を集め、羽黒信仰の中心でもあった聖地。
池からは銅鏡500面が出土し、国の重要文化財に指定される190面が出羽三山歴史博物館で収蔵展示されています。
松尾芭蕉が『奥の細道』途中に参詣した時には寺だった!
松尾芭蕉は、『奥の細道』途中、2日間断食して潔斎をして、元禄2年6月5日(1689年7月21日)に羽黒本社(羽黒権現=現在の三神合祭殿)に詣でています。
ちなみに松尾芭蕉が参拝した頃(江戸時代)の羽黒山は天台宗の寺で、社堂には、伊氏波神と倉稲魂命が祀られ、その本地仏として観世音菩薩が配されていました。
芭蕉は、羽黒権現と表現していますが、随行した曽良(吉川惟足に師事し神道を修得)は「夕飯過テ、先、羽黒ノ神前に詣」と神仏習合ゆえに微妙な感じ方の差があったことがわかります。
「当寺武江東叡に属して天台止観の月明らかに、円頓融通の法の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励し、霊山霊地の験効、人貴且恐る」と『奥の細道』からは天台宗の修験の地だった様子が記されています。
芭蕉は、羽黒山から月山を登拝し、湯殿山に下り、「三関三渡」と称された出羽三山を巡る「生と死と再生の道」をたどっています。
出羽神社三神合祭殿 | |
名称 | 出羽神社三神合祭殿/ではじんじゃさんじんごうさいでん |
所在地 | 山形県鶴岡市羽黒町手向羽黒33 |
関連HP | 出羽三山神社公式ホームページ |
電車・バスで | JR鶴岡駅から庄内交通バス羽黒山頂行きで55分、終点下車、徒歩5分 |
ドライブで | 山形自動車道鶴岡ICから約21.8km |
駐車場 | 羽黒山頂駐車場(450台/無料) |
問い合わせ | 出羽三山神社 TEL:0235-62-2355/FAX:0235-62-2352 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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