山梨県甲州市勝沼町、勝沼ぶどう郷としてブドウとワインのイメージが強い勝沼ですが、勝沼市街地を走る山梨県道34号(白井甲州線)は、かつての甲州街道勝沼宿。甲州街道は、江戸と中山道・下諏訪宿(現・長野県下諏訪町)を結ぶ五街道のひとつで、甲州を東西に横断する街道です。
甲州街道、江戸日本橋から数えて36番目の宿場
勝沼宿は、江戸・日本橋から31里26町、宿場の長さは16町26間(1745m)という大きな宿場。
笹子峠を越えた甲府盆地の東の入口ということもあって、幕末の天保14年(1843年)には家屋192軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠(はたご=旅館)も23軒を数えて繁栄ぶりがわかります。
江戸時代には「甲州八珍果」と呼ばれる甲州産の果物が世に知られており、なかでもブドウは、鎌倉時代にその栽培が遡るとの説もある特産物。
江戸時代の記録によれば、実は、勝沼周辺の村で実際に栽培されていたブドウの数は少なく、献上品として、あるいは街道の珍しい特産品としての扱いだったとのこと。
芭蕉の「勝沼や馬子も葡萄を喰いながら」という句がありますが、これは少し誇張だったのかも知れません。
その頃の地域経済を支えていたのは、宿場としての機能に付随する商売はもちろんですが、それを除けば養蚕業が主力。
甲州街道の中心部に面して建つ田中銀行(現・旧田中銀行博物館)では、養蚕業に関わる換金業務が行なわれていたのです。
旧田中銀行博物館は、明治30年代初め勝沼郵便電信局舎として建設された建物で、明治初期の山梨県内に建設された藤村式建築の流れをくむ擬洋風建築で、国の登録有形文化財。
明治36年の中央線が開通しますが(勝沼駅は大正2年に開業)、線路が町を大きく離れたことで、賑わいは塩山に移り、宿も廃業し、宿場としては衰退していきました。
勝沼宿一帯には、往時の様子を伝える萩原家住宅(仲松屋)など、蔵や商家の街並みがわずかながら残され、散策にも最適。
勝沼宿の本陣「池田屋」は上町、脇本陣は上町と本町に配置され、現在の上町交差点が宿場の中心ということに。
観光ブドウ園が登場するのは、勝沼駅ができた大正時代のこと。
勝沼の宿場内にある芳王遊覧園、古寿園がその先駆けです。
甲州街道勝沼宿 | |
名称 | 甲州街道勝沼宿/きゅうこうしゅうかいどうかつぬまじゅく |
所在地 | 山梨県甲州市勝沼町勝沼 |
関連HP | 甲州市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR勝沼ぶどう郷駅から徒歩20分 |
ドライブで | 中央自動車道勝沼ICから約1km |
問い合わせ | 甲州市観光商工課 TEL:0553-32-2111 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag