湯船は江戸の川に浮かべた「湯船」が語源はウソ!?

湯船

NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる!』の令和2年2月14日放送のなか、「お風呂と湯船」の解説で、浴槽を湯船というのは江戸の川に浮かべた「湯船」(河川を移動した銭湯)にあるという結論になっていましたが、これは大間違い。平安時代の古文書にもちゃんと「ゆぶね」という記載があるのです。

平安時代に「ゆぶね」「由布禰」の記述が!

まずは江戸発祥説を覆す、古文書から。
平安時代中期の承平年間(931年〜938年)、源順(みなもとのしたごう)が編纂した辞書『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう=2600の漢語を分類した辞書)を見てみると、
浴斛 楊氏(ようし)漢語抄云 浴斛〈由布禰 下胡谷反〉とあり、漢語の「浴斛」(洗い桶、浴槽のようなもの)の和訳として、由布禰(ゆふね)と当てています(巻14・調度部中第22・澡浴具第181・7丁表7行目)。

平安時代の歴史物語『栄花物語』巻十八「たまのうてな」に「ある所を見ればゆぶねの湯わかして、僧二三十人浴みののしる」と記され、明確に「ゆぶねの湯わかし」と記されています。
これは、寺院の浴堂における施浴を記したもので、実際に入浴したのか、湯を単に浴びたのかは定かでありません(平安時代末、京に銭湯のルーツ「湯屋」が登場します)。

江戸の町にあったという銭湯型の「湯船」は、明和3年(1766年)に刊行された『和漢船用集』にも記載されています。
銭湯文化の一環として栄えていた「湯船」がルーツで、各家庭に風呂が備わった現代に、「湯船」という言葉だけが残された・・・、というのが「湯船」起源説ですが、庶民文化研究所所長の町田忍(まちだしのぶ)氏も番組内で有識者としてそういった主旨の発言をしています。

「ゆぶね」という言葉は、平安時代にはすでに使われていた言葉ですが、湯船といった漢字を当てるのは、この江戸時代の銭湯船「湯船」がルーツということなのでしょう(実際に当初の銭湯は蒸し風呂で、湯を入れた浴槽に首まで浸かるようになるのは慶長年間末頃といわれています)。

京都の貴布禰神社が、貴船神社に転訛したように、湯布禰が湯船に転じた可能性もあるのかもしれません。
それでも、江戸の銭湯文化が、湯船という言葉を大衆化したことは、間違いないように思われます。
「ゆぶね」という言葉は平安時代からは使われており、湯船という文字を当てるようになったのは江戸時代以降と推測できるのです。

 

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