ねごろ歴史資料館

ねごろ歴史資料館

和歌山県岩出市根来にあるのが、「ねごろ歴史資料館」。室町時代末期には根来寺根來寺)が寺領72万石、坊舎450を数え、根来衆(ねごろしゅう)とよばれる僧兵1万を擁して宗教都市へと発展した地。種子島伝来の火縄銃を使った鉄砲隊も組織していましたが、豊臣秀吉と対立し、根来攻めにもあっています。そんな根来の歴史を紹介しています。

宗教都市として発展した根来の歴史を無料で学ぶ!

根来寺の開創から天正13年(1585年)の羽柴秀吉(豊臣秀吉)による紀州攻めまでの歴史についてまとめた「信仰と交流ゾーン」では、根來寺の歴史をマスターできるので、根来寺参詣の前に入館するのもおすすめです。

ルイス・フロイスは、戦国時代に紀伊国を支配した高野山、粉河寺(こかわでら)、根來寺という仏教集団、そして雑賀衆(さいかしゅう)という地侍集団を「大いなる共和国的存在」と位置づけています。
根來寺も強力な僧兵と鉄砲による軍事力で、境内都市を形成していました。
天正13年(1585年)3月23日、岸和田城を出発した秀吉軍は、根來寺を襲撃し、根来衆の鉄砲隊を含めた主要兵力は和泉の戦線に派兵されていたため、多くの堂宇を焼失しています。

ねごろ歴史資料館では、真言密教に関する石仏、板碑などの展示のほか、羽柴秀吉軍に焼き尽くされたことを示す焼土層などを写真パネルで紹介。
また、「文化と繁栄ゾーン」、縦3m、横5.4mの大型モニターで史跡根來寺を紹介する「シアターゾーン」もあり、無料で見学できるので、ぜひ寄り道を。

屋外には、発掘された遺跡をレプリカで再現した「根來寺遺跡展示施設」も併設。

一帯は道の駅「ねごろ歴史の丘」として整備されるほか、隣接して旧和歌山県議会議事堂が建っています。

ねごろ歴史資料館

信長には好意的だった根来衆

秀吉とは敵対関係にあった根来衆ですが、意外にも織田信長とは友好関係を築いていました。
織田信長の紀州征伐にも加勢、天正9年2月28日(1581年4月1日)の『京都御馬揃え』(きょうとおうまぞろえ=戦国時代の軍事パレード)にも参加しています。

信長没後の覇権争いである小牧山の戦いでは、雑賀衆とともに織田信雄・徳川家康軍に加わり、秀吉包囲作戦を展開したため、秀吉は恐れおののいてもいるのです。
その結果が、紀州征伐、根来攻めですが、生き残った一部の根来衆は、伊勢に逃れ、徳川家康の配下として生き延びています。
家康の江戸入封後は、成瀬正成(なるせまさなり=後の尾張藩家老、犬山藩初代藩主)を組頭とする根来組同心として内藤新宿に配置され、関ヶ原の合戦は成瀬正成の配下、東軍として参戦しています。

ねごろ歴史資料館
ねごろ歴史資料館
ねごろ歴史資料館
名称ねごろ歴史資料館/ねごろれきししりょうかん
所在地和歌山県岩出市根来2020-1
関連HP岩出市公式ホームページ
電車・バスでJR岩出駅から岩出市巡回バスで15分、ねごろ歴史の丘下車
ドライブで京奈和自動車道岩出根來ICから約1km
駐車場道の駅ねごろ歴史の丘駐車場(76台/無料)
問い合わせ道の駅ねごろ歴史の丘 TEL:0736-61-1170
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

根来寺

根来寺

和歌山県岩出市、紀ノ川の支流、根来川(ねごろがわ)流域にある新義真言宗の本山、根来寺。隆盛を極めましたが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の根来攻めで焼失。それでも国宝の大塔(多宝塔)のほか大師堂、大伝法堂など、国の重要文化財に指定される

旧和歌山県議会議事堂

旧和歌山県議会議事堂

和歌山県岩出市根来(ねごろ)にある歴史的建造物が旧和歌山県議会議事堂。明治29年、和歌山県議会議事堂として建てられたもので、昭和37年に根来寺境内に移築され、大講堂・客殿に転用。平成24~27年度の保存整備事業によって、建築当初の姿に復原。

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