桑名宗社・青銅鳥居

桑名宗社・青銅鳥居

三重県桑名市本町、桑名宗社(くわなそうしゃ)とは桑名神社と中臣神社(なかとみじんじゃ=春日神社)の両社をあわせた名前で、桑名の総鎮守。その社前に立つのが、「勢州桑名に過ぎたるものは、銅の鳥居に二朱女郎」と謳われた東海道名物だったという青銅鳥居です。

東海道桑名宿のシンボルで、桑名の鋳物産業をも象徴

寛文7年(1667年)、桑名藩主・松平定重(まつだいらさだしげ=松山藩主・松平定頼の三男で養子として桑名藩入り)の「日本随一の青銅鳥居を」という命を受け、鋳物師(いもじ)・藤原種次が建立したもので、高さ7m、幅6mの大きさ。

桑名での鋳物の歴史は、徳川四天王(酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政)にも数えられる本多忠勝(ほんだただかつ)が、慶長6年(1601年)に桑名藩主となった際に、鋳物師・広瀬氏を招いて屋敷を与え、藩の奨励のもとで鉄砲製造など鋳物産業が興ったのが始まり。
松平定綱(まつだいらさだつな=徳川家康の甥)も鋳物師・辻内氏を招いて屋敷を与えているので、孫(定綱の子・松平定良の養子)の松平定重の代には鋳物産業も興隆していたと推測できます。
3軒の御鋳物師(おんいもじ) があったと伝えられて、それが現在の「くわな鋳物」のルーツとなっています。

「勢州桑名に過ぎたるものは、銅の鳥居に二朱女郎」の二朱女郎は、江戸時代の女郎の相場が銀二朱(八分の一両)で、七里の渡しの風待などで繁栄した桑名宿の女郎のこと。
江戸時代後期の史料を見ると、東海道の宿駅のうち、旅籠(はたご=宿屋)がもっとも多いのは宮宿(名古屋市熱田区)ですが、2番目は桑名宿で、七里の渡しの両岸ということに。
明治3年、四日市と宮の間に蒸気船による定期航路が開かれるまでは、大いに繁栄した宿場だったのです。
伊勢神宮のお膝下の山田よりも女郎も多かったため、数多くの文人が来遊、二朱女郎という言葉も生まれたのです。

宿場のシンボルともなった青銅鳥居は、金250両を費やして建造。
木造鳥居が主流の当時としては破格の豪華さで、旅人の目を引いたのです。
その後、何度も防雨風や台風で倒壊していますが、その都度、地元の鋳物師が修復、現在に至っています。

ちなみに、大福田寺に祀られる桑名聖天(歓喜天)は、松平定重の持念仏です。

桑名宗社・青銅鳥居
名称 桑名宗社・青銅鳥居/くわなそうしゃ・せいどうとりい
所在地 三重県桑名市江戸町・片町
関連HP 桑名宗社公式ホームページ
電車・バスで JR・近鉄名古屋線桑名駅から徒歩17分
ドライブで 東名阪自動車道桑名ICから約5km
駐車場 40台/無料
問い合わせ 桑名宗社 TEL:0594-22-1913
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
桑名宗社

桑名宗社

三重県桑名市本町、桑名宗社(くわなそうしゃ)とは桑名神社と中臣神社(なかとみじんじゃ=春日神社)の両社をあわせた名前で、桑名の総鎮守。現在も本殿・拝殿は2宇に分かれ、神紋も異なっています。8月に行なわれる「日本一やかましい祭り」石取神事(『

桑名宿・七里の渡し跡

東海道は宮宿(熱田宿=名古屋市熱田区)から「七里の渡し」で伊勢湾の海上を船で渡り(所要は3時間から4時間と推定されています)、揖斐川河口(桑名城の脇)に位置した桑名宿の渡船場に上陸しました。江戸時代の「海上国道」で、その渡し場の跡が桑名城跡

大福田寺

大福田寺

三重県桑名市にある聖徳太子開山の伝説のある古刹が大福田寺(だいふくでんじ)。天武天皇、持統天皇、さらには聖武天皇の行幸を受け、伊勢神宮の神宮寺として大神宮寺と号していたという名刹です。祀られる桑名聖天は、東京都台東区の本龍院(待乳山聖天)、

 

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