漲水御嶽

漲水御嶽

沖縄県宮古島市平良(ひらら)地区の中心部にある宮古島創世の神話「人蛇婚伝説」が伝わる御嶽(うたき)が、漲水御嶽(はりみずうたき)。宮古島の方言で、「ぴゃるみずうたき」と呼ばれ、宮古島創造神の男神・古意角(こいつの)と女神・姑意玉(こいたま)が祀られています。

宮古島でもっとも格式の高い御嶽

漲水御嶽

漲水御嶽は、宮古島全郡の信仰の中心にあたる聖域。
ガジュマルの大木茂る境内を囲む石垣は1500年頃、仲宗根豊見親(なかそねとぅいみや)が築いたもの。
1500年のオヤケアカハチの乱に際し、オヤケアカハチを征討した暁には神域を整備することを警願し、念願叶ったお礼に整備したものと伝えられています。

御嶽の前から東の祥雲寺に向かって漲水石畳道(はりみずいしだたみみち/宮古市の史跡)の一部が残されていますが、1696年の大地震後の土木事業として、2間半に拡張されたと推測され、もともとは仲宗根豊見親が戦勝を祝して整備した可能性も。

宮古島に滞在する場合は、旅の最初と最後に漲水御嶽参拝を。

宮古島創世の神話「人蛇婚伝説」とは!?

1745年に首里王府が編纂した『遺老説伝』(いろうせつでん)には、宮古島創世の神話「人蛇婚伝説」が記されています。
宮古島に男神・古意角と女神・姑意玉が天から降り立ち、それから万物が生まれましたが、その数百年後、平良(ひらら)の隅屋(すみや)の大姓家に生まれた美しい娘(神に祈ってやっと授かった娘)が、漲水御嶽の洞窟の大蛇の化身の子を宿しました。
娘は「我は恋角の化身である、お前は3人の娘を生むだろう。子供達が3歳になったら漲水御嶽へ連れてきなさい」という夢告を受けます。
夢告の通り、生まれた3人の子供達を連れて行くと、大蛇が出現。
娘は驚いて子供達を投げ捨てましたが、子供達は喜んで大蛇に抱きつき、大蛇は子供達とともに御嶽の中へ消え去り、子供達は宮古島の守護神となったのです。

同様の伝説は、奈良県の三輪山・大神神社(おおみわじんじゃ)の神婚説話が有名で(『古事記』、『日本書紀』にも記載)、夜な夜な活玉依毘売(いくたまよりびめ)のもとに男が通い、ついに姫が身ごもるという蛇聟入(へびむこいり)の説話は各地に伝承され、三輪山説話と称されています。

ヤマト王権と宮古島の関係性は定かでありませんが、広大には壮大な交流があったのかもしれません。

漲水御嶽
名称 漲水御嶽/はりみずうたき
所在地 沖縄県宮古島市平良西里8
関連HP 宮古島市教育委員会公式ホームページ
電車・バスで 平良港から徒歩5分。または宮古空港からタクシーで10分
ドライブで 宮古空港から約5km
駐車場 なし/平良港、宮古島市役所などを利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
仲宗根豊見親の墓

仲宗根豊見親の墓

沖縄県宮古市、宮古島にの玄関口、宮古港近くにあるのが仲宗根豊見親の墓(なかそねとぅいみやのはか)。15世紀末〜16世紀初め頃に宮古を治めていたのが仲宗根豊見親。琉球王府から認定された宮古島の首長で、1500年、琉球王国に反乱を起こした、八重

砂山ビーチ

砂山ビーチ

沖縄県宮古島市、宮古島の北部、下崎地区の北端、下崎神社横の道をさらに北へと進んだ場所にある人気のビーチが、砂山ビーチ。その名の通り駐車場から砂山を越えた先にビーチがあり、洞門となった海蝕洞がアクセントとなって、沖縄らしい光景が展開します。

 

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