青森県弘前市、弘前公園(弘前城)の北側、かつての武家屋敷町で、弘前市仲町重要伝統的建造物群保存地区に選定される一角に建つのが、旧岩田家住宅。青森県の重宝に指定される旧岩田家住宅は、寛政10年 (1798年)〜文化5年(1808年)に建てられた武家屋敷で、中級武士の生活を偲ばせてくれます。
岩田平吉は箱館戦争で津軽部隊の参謀を務めた家柄
弘前藩の初代藩主・津軽為信(つがるためのぶ)は、慶長8年(1603年)、弘前城本丸周辺の町割を実施し、当時の大手門だった現在の搦手門(からめてもん=裏門)の北、北堀に沿って東西に延びる亀甲町道とその北の大久保堰との間に武家町を配しました。
4代藩主・信政の時代に参勤交代に使用される街道として碇ヶ関街道が整備されるまでは、現在の亀甲門(北門)が弘前城の追手門でした。
築城当初は足軽や禄高の低い役職の武士の居住地でしたが、元禄年間(1688年〜1704年)以降の城内居住武士の城外移転に伴って、中級・下級武士や禄高の多い大身(たいしん)の家臣などの居住地になりました。
岩田家は200石~500石の中流武士で、箱館戦争では新政府側の主力となった津軽部隊(2207名)の参謀(家老・杉山上総の参謀)を西洋砲術師範だった岩田平吉(江戸で、江川太郎左衛門の塾で西洋砲術や兵学を学び、帰郷後には津軽藩の兵制改革を主張、西洋砲術師範に就任)が務めています。
旧岩田家住宅は、昔ながらの茅葺き屋根で、畳敷きの5部屋に、玄関、台所などが配され、三方に縁が回っています。
弘前市仲町重要伝統的建造物群保存地区内では、旧岩田家住宅のほか、旧伊東家、旧梅田家、旧笹森家の4棟が公開されていますが、それぞれ休館日が違うので、散策にあたっては注意が必要です。
旧岩田家住宅 | |
名称 | 旧岩田家住宅/きゅういわたけじゅうたく |
所在地 | 青森県弘前市若党町31 |
関連HP | 弘前市公式ホームページ |
電車・バスで | JR弘前駅から弘南バス浜の町方面行きで15分、亀の甲町角下車、徒歩5分 |
ドライブで | 東北自動車道大鰐弘前ICから約11km |
駐車場 | 弘前文化センター駐車場(110台/1時間まで無料、以降有料)など周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 弘前市文化財課 TEL:0172-82-1642 |
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