愛媛県大洲市、大洲盆地の中央にそびえる標高319.8mにある冨士山(とみすやま)は、その姿が富士山に似ていることから名付けられた山(大洲富士)。山頂近くまで車道も通じるから手軽に大洲盆地一望のパノラマを得ることができます。山頂付近は冨士山公園として整備されています。
大洲市街を眼下に、ツツジが植栽された花の名所
冨士山公園には、展望台、東屋、ローラー滑り台が設置されるちびっこ広場、トリムコースなどが整備。
また、八重桜、ツツジの名所としても知られ、例年4月下旬~5月には6万3000本のツツジが一帯をピンク色に染め上げ、例年4月下旬~5月中旬には『つつじまつり』も開催。
冨士山南麓には大洲家族旅行村オートキャンプ場もあり、コテージも整備されています。
また西麓の如法寺は、山号も冨士山で、大洲藩主の菩提寺。
仏殿は国の重要文化財に指定されています。
冨士山も、大洲藩最後の藩主となった第13代藩主・加藤泰秋(かとうやすあき)の次男、加藤泰通(戦前の貴族院議員)が昭和24年に冨士山一帯の所有林90町8反を大洲町に寄付して公有となったのが公園化へのきっかけ。
それ以前は藩主・加藤家の所有地だったわけです。
如法寺山頂巨石遺跡は、古代の巨石文明の遺跡!?
往時は冨士山は如法寺山(ねほうじやま)とも呼ばれ、二等三角点の東100mの場所に如法寺山頂巨石遺跡(大洲市の史跡)が。
大小2つの巨石のうち、大きい方は「盤珪禅師の座禅石」と呼ばれていますが、「祭壇石」説、朝鮮から伝わったとされる支石墓「ドルメン」説などなどがあり、古代人が何の目的で巨石を設置したかはわかっていません。
盤珪禅師は、大洲藩主・加藤泰興が帰依し、大洲に招聘、明暦3年(1657年)、遍照庵を建立した臨済宗の名僧・盤珪永琢(ばんけいようたく)のこと。
如法寺の中興開山でもあり、如法寺には、盤珪永琢筆の漢詩など、盤珪国師墨跡も伝わっています。
中江藤樹(なかえとうじゅ)、矢野玄道(やのはるみち)とともに、「大洲三偉人」にも数えられています。
「最近この大洲の町をとり囲む―それがやがて口碑にいふ所の少名彦命の陵を中心にして―神南備(かんなび)山、如法寺山、柳瀬山、高山に出雲民族の特性とも見らるゝ巨石文化―巨石をまつり、そを神聖視する祭壇的設備―の遺跡を、余りに著るしい数で発見した。この巨石文化の発見は、当然少名彦命の口碑と結びつくべき運命である。大洲を中心とする一区画が巨石文化の宝庫であり、他に比類のない盛容であるのは、神代当時の重要地域および重要人物との関聯をも裏書きするのである。」(昭和4年、河東碧梧桐『南予枇杷行』/青空文庫が復刻)
昭和初期に、全国で、こうした巨石など古代文明の見直しが行なわれ、その一環で大洲も注目されましたが、実際には祭祀遺跡なのかもわかっていません(他県では、昭和初期に古代文明の遺跡とされたものが学術調査で中世の宗教遺跡・修験の道場跡となったものもあり、その可能性もあります)。
冨士山公園(大洲富士) | |
名称 | 冨士山公園(大洲富士)/とみすやまこうえん(おおずふじ) |
所在地 | 愛媛県大洲市菅田町大竹・柚木 |
関連HP | 大洲市公式ホームページ |
電車・バスで | JR伊予大洲駅からタクシーで15分 |
ドライブで | 松山自動車道大洲冨士ICから約3.5km |
駐車場 | 200台/無料 |
問い合わせ | 大洲市都市整備課 TEL:0893-24-1719/FAX:0893-24-1736 |
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