天赦園

天赦園

愛媛県宇和島市にある大名庭園が、国の名勝となる天赦園(てんしゃえん)。かつて海だったこの一帯を宇和島藩2代藩主・伊達宗利(だてむねとし)が浜御殿を建てるために造成、後に7代藩主・伊達宗紀(だてむねただ)によって大改造が行なわれ、慶応2年(1866年)に池泉式回遊庭園が完成。

宇和島藩の大名庭園でかつての浜御殿の一部

宇和島藩第7代藩主・伊達宗紀の隠居所「潜淵館」の建築と同時に文久3年(1862年)、勘定奉行の釆配によって築造を開始。
庭園名は、隠居時に伊達政宗(だてまさむね=初代藩主の伊達秀宗は、仙台藩主・伊達政宗の長子)の詠んだ漢詩(馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何)からその名をとったもの。
「潜淵館」は明治29年に取り払われ、跡地は芝地になっています。

鬼ヶ城連峰を借景に、広い池を中心とした幕末期の大名庭園の特色がよくわかる造りで、園内には伊達家の家紋「竹に雀」にちなみ22種もの竹や笹が植栽されています。
園の周囲はクロマツ・クス・ウバメガシなどの常緑樹で外景を遮断し、園内には、各種多様の暖温帯性植物が植栽されています。

また遠祖が藤原鎌足(ふじわらのかまたり)であることから、野田藤も植栽され、藤の名所としても名高い庭園です。
なかでも幅4m、長さ24mのアーチ状になった白玉藤の藤棚は見事。
この藤は、5代藩主・伊達村候(だてむらとき)が参勤交代の途中、摂津国西成郡野田村(現・大阪市福島区野田)から持ち帰ったものがルーツといういわれが。

江戸時代には諸大名が鴨猟をしていましたが、大名庭園に鴨場として現存するのは浜離宮恩賜庭園(東京都中央区)、栗林公園(香川県高松市)とこの天赦園だけです。

天赦園
名称 天赦園/てんしゃえん
所在地 愛媛県宇和島市天赦公園
関連HP 宇和島市観光情報センター公式ホームページ
電車・バスで JR宇和島駅から宇和島バス京町経由薬師谷行きで10分、天赦園前下車、すぐ
ドライブで 松山自動車道宇和島朝日ICから約1km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 天赦園 TEL:0895-25-2709
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

浜離宮恩賜庭園

江戸時代、将軍家の別邸、浜御殿が建てられ、6代将軍・徳川家宣(とくがわいえのぶ)が造園を完成させた大名庭園。明治維新後は皇室の離宮となり、浜離宮と呼ばれるように。戦後、都の公園として移管。入口近くの将軍・家宣の大改修を記念して植栽された「三

 

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