明治の家並み

明治の家並み

愛媛県大洲市大洲、小京都とも称される大洲は、伊予大洲藩6万石の城下町。市街の中心にあるのが、明治の家並みと通称される南北の通りで、明治時代に建てられた町家が連なっています。明治・大正時代に栄えた養蚕、製糸の当時を偲ぶ家並みで、屋根は低く造りも簡素ですが、今も現役。

大洲神社近くにあるレトロな家並み、土蔵群

明治の家並み
大洲神社御大典記念昭和燈(塔前を左側に入る道が明治の家並み)

おはなはん通りが東西に伸びる通りなのに対し、明治の家並みはその東側に位置する南北の通り。
並行して西側には石張り舗装の通り(おはなはん通りと直交)もあって、大洲観光の中心的なエリアになっています。
明治の家並みには土蔵も多いのですが、劣化が進み、壊される場所も増えつつあり、町並みの保存も課題のひとつとなっています。
明治の家並みと通称される通りの南端、大洲神社の入口にある背の高い常夜灯は、大洲神社御大典記念昭和燈。
昭和3年11月10日に行なわれた昭和天皇の即位御大典を記念して建立された常夜灯です。
当時としては貴重な鉄筋コンクリート造りで高さは12mもあります。

明治の家並み、石張り舗装の通り、おはなはん通りと端から端まで歩いても20分余りなので、あてもなく散策するのもおすすめ。
テレビドラマのロケに使われることも多い場所で、「伊予の小京都」といわれるイメージを代表するのがここ。

明治の家並み
名称 明治の家並み/めいじのいえなみ
所在地 愛媛県大洲市大洲
電車・バスで JR伊予大洲駅から徒歩20分。または、タクシー5分
ドライブで 松山自動車道大洲ICから約5km
駐車場 大洲まちの駅あさもや駐車場(43台/無料)
問い合わせ 大洲市観光まちづくり課 TEL:0893-24-1717
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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