松山城・一ノ門

松山城の天守の建つ本壇(本丸曲輪の天守が建つ中心部分)を守る門が一ノ門。西に向いた高麗門で、目の前(西側)には小天守が聳えています。門の南に一ノ門南櫓、門の北に三ノ門南櫓が配される防御態勢。二ノ門との間は枡形になっており、そこに突入した敵軍を小天守、一ノ門南櫓、二ノ門南櫓、三ノ門南櫓の四方から攻撃できる仕組みです。

天守の建つ本壇を守る最初の門

一ノ門からニノ門方向を眺望。この枡形は四方から攻撃を受ける構造

豪放な構えながら高麗門という簡易な形なのは、上方からの攻撃が容易なため。
小天守をはじめ周囲の櫓から銃火が集中する、本壇防衛上最も堅固の場所になっています。

一ノ門と一ノ門南櫓、一ノ門東塀は天守とともに1784(天明4)年の落雷で焼失。
現存する建物は扉の墨書によれば、1786(天明6)年の再建で、国の重要文化財。

天守の再興よりいち早く再建されたのは、本壇への出入りをチェックできる重要な関門だから。

いよいよ大天守、小天守が迫ってきます
松山城本壇MAP
松山城・一ノ門
名称松山城・一ノ門/まつやまじょう・いちのもん
所在地愛媛県松山市丸之内1
関連HP松山城公式ホームページ
電車・バスでJR松山駅から道後温泉行き伊予鉄道市内電車で10分、大街道下車、徒歩5分
ドライブで松山自動車道松山ICから約6km
駐車場松山城駐車場(20台/有料)・松山市役所前地下駐車場(290台/有料)
問い合わせ松山城総合事務所 TEL:089-921-4873
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
松山城

松山城

愛媛県松山市街の中心、標高131.4mの勝山に建つ松山城は、秀吉の家臣で賤ヶ岳合戦の「七本槍」の一人、加藤嘉明(かとうよしあきら)が25年の歳月を費やし寛永4年(1627年)に築城した平山城。天守など21棟が現存し、国の重要文化財に指定され

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