岩城郷土館

岩城郷土館

愛媛県越智郡上島町、岩城島(いわぎしま)にある江戸時代の伊予松山藩・島本陣、三浦家の屋敷を再生したのが岩城郷土館。現在は「青いレモンの島」として有名な岩城島ですが、三浦家は塩田の開発や回船業などで繁栄した豪商で、近世から近代にかけての岩城島の文化を感じ取ることのできる施設です。

江戸時代後期の島本陣・三浦家の邸宅を再生

岩城郷土館

三浦家から寄贈を受け、昭和57年4月1日に開館した岩城郷土館。
御成門、主賓の間、畳敷きの便所などが修築され、資料室には三浦家18代当主・三浦敏夫(明治25年生まれ)と交流があった若山牧水や吉井勇の資料が展示されています。

御成門などがあるのは、公的接待の施設であるお茶屋、参勤交代の際に松山藩の藩主が立ち寄る本陣として機能したから。

江戸時代、芸予の島々では、年貢を米の代わりに塩で納めていました。
その輸送もあって、岩城湊(岩城港)は、松山藩の瀬戸内海交通の拠点として機能し、製塩と海運を差配して財を成したのが三浦家です。
参勤交代途中の藩主の乗船する御用船も、沖を通過することもありましたが、寄港して島本陣で休憩、宿泊もあり、御成門、主賓の間などが整備されたのです。

当初は白石家が庄屋を務めていましたが、天保10年代(1840年代)に、廻船業、塩田経営、新畑開発、木綿の商いなどで財を成した三浦家に引き継がれました。
三浦家の当主は大庄屋となり、島代官とも呼ばれるようになったのです。

三浦家18代当主・三浦敏夫は明治大学を中退し、郵便局長を務めていました。
若山牧水が創刊した短歌雑誌『創作』の同人ともなり、大正2年、若山牧水は岩城島の海岸にあった三浦家の別荘に数日間滞在しています。
「窓前の 瀬戸はいつしか 瀬戸なりぬ 白き浪たち ほととぎす啼く」(若山牧水)の歌碑は、別荘滞在中に詠んだ歌を昭和38年に建立したものです。
また、吉井勇の歌が残るのは、昭和11年、若山牧水を偲んで三浦家に投宿しているから。

岩城郷土館
名称 岩城郷土館/いわぎきょうどかん
所在地 愛媛県越智郡上島町岩城東
関連HP 上島町公式ホームページ
駐車場 岩城港駐車場(30台/無料)を利用
問い合わせ 上島町岩城総合支所 TEL:0897-75-2500
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
レモンの散歩道

レモンの散歩道(岩城島)

愛媛県越智郡上島町、芸予諸島(上島諸島)の岩城島(いわぎじま)の西部(にしべ)地区にあるのが、レモンの散歩道。岩城島は、「青いレモンの島いわぎ」と呼ばれるように、レモンやライム、「まどんな」の名で呼ばれる愛果28号など、柑橘類の生産が盛ん。

 

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