宇和島城・天守

宇和島城・天守

愛媛県宇和島市にある、藩政時代に宇和島藩の藩庁だったのが、宇和島城。築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が天守を築いたのが始まりですが、2代藩主・伊達宗利(だてむねとし)が大改修の際に、現在の天守を構築。江戸時代の天守が残る「現存12天守」のひとつ。

伊達政宗の子、伊達宗利が築いた天守が現存

宇和島城・天守

3層3階、白壁の総塗り込め造り、高さ15.8mという比較的に小さな天守ですが、正面最上層の屋根に大きな唐破風、2層目の屋根に大きな千鳥破風、1層目の屋根に2つの千鳥破風、さらに玄関口に唐破風と変化が付けられた優美な外観です。

鉄砲狭間や矢狭間、石落しなど実戦的な配備はなく、領主の威容を示すことに重点が置かれるという太平の世を象徴するような造りになっています(見学にあたっては、武備の要素が薄れている点に注目を)。
寛文6年(1666年)頃の建築後、幕末の万延元年(1860年)にも大修理が行なわれ、近年では昭和35年から2年を費やしての解体修理が行なわれています。

現存12天守のうち、四国には丸亀城天守(香川県丸亀市)、高知城天守(高知県高知市)、松山城天守(愛媛県松山市)の4天守がありますが、県内に天守が2つ現存しているのは愛媛県だけです。

宇和島藩には慶長19年(1614年)、伊達政宗の長男(庶子)・伊達秀宗(だてひでむね)が10万石で入封し、以降明治維新まで伊達家が藩主を務めています(正室・愛姫との間に生まれた伊達忠宗が仙台藩の2代藩主に)。
伊達秀宗の子、伊達宗利が現存する天守を構築しています。

宇和島城・天守
天守最上階から宇和城下と港を眺望
宇和島城・天守
名称 宇和島城・天守/うわじまじょう・てんしゅ
所在地 愛媛県宇和島市丸之内1
関連HP 宇和島市公式ホームページ
電車・バスで JR宇和島駅から山門まで徒歩10分、山門から天守まで徒歩15分
ドライブで 松山自動車道西予宇和ICから約20km
駐車場 城山下駐車場(45台/有料)・宇和島市営中央町駐車場(100台/有料)
問い合わせ 宇和島市文化・スポーツ課 TEL:0895-49-7033/天守 TEL:0895-22-2832
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
宇和島城

宇和島城

宇和島城は、愛媛県宇和島市街の中心部、標高80mの丘陵地にある平山城。丸串城と呼ばれた中世の砦がありましたが、板島(現在の宇和島)に入城した築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が大改修を行ない、慶長6年(1601年)にほぼ現在の姿が整え

宇和島城上り立ち門

宇和島城上り立ち門

「日本100名城」に選定される宇和島城に現存する藩政時代の遺構は、天守と上り立ち門のみ。上り立ち門は、現在、国道56号に面した城山南側の登城口となっていますが、藩政時代には搦手筋(からめてすじ=裏門側)に位置し、門の前には御材木蔵が配されて

宇和島城・天守

宇和島城・天守

愛媛県宇和島市にある、藩政時代に宇和島藩の藩庁だったのが、宇和島城。築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が天守を築いたのが始まりですが、2代藩主・伊達宗利(だてむねとし)が大改修の際に、現在の天守を構築。江戸時代の天守が残る「現存12天

 

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