愛知県名古屋市中村区中村町にある日蓮宗の寺、正悦山妙行寺。かつては東に200mほどのところにあり本行寺という真言宗の寺でしたが日蓮宗に改宗し妙行寺に。慶長15年(1610年)の名古屋城築城の際、普請の命を受けた加藤清正は築城の余材と普請小屋を貰い受け、妙行寺を自身の誕生の地に移しています。
加藤清正生誕の地に建つ日蓮宗の寺
妙行寺境内の清正公堂に安置される肖像画は清正が創建した肥後・本妙寺(現・熊本県熊本市西区)の第3世・日遥(にちよう)上人の作。
日遥上人は文禄元年(1592年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵・文禄の役の際、12歳で加藤清正の捕虜となり日本に連れてこられた人(余大男)。
出家して身延久遠寺で修業を積み、本妙寺の住職となったのです。
加藤清正は、日蓮宗の信者だった母・伊都の感化で、清正が3歳の時に津島に移り、日蓮宗・妙延寺(現・津島市今市場町)の日順大徳の教化を受けた日蓮宗徒。
戦場での武勲は法華教の力と信じていました。
また、羽柴秀吉の生母である大政所と母・伊都が従姉妹(あるいは親戚)で、天正元年(1573年)、近江長浜城主となったばかりの羽柴秀吉に小姓として仕え、以後、頭角を表していきます。
妙行寺境内には清正公誕生の地碑、加藤肥後候旧里碑、加藤清正公像も立つ加藤清正ゆかりの地。
文化7年(1810年)建立の加藤肥後候旧里碑は、中村公園の西、八幡社の境内に建立されたものですが、明治3年、妙行寺が生誕地であることが確実視されるようになったのを機に移されもの。
宝物に長烏帽子兜(ながえぼしかぶと)、清正自筆の題目(南無妙法蓮華経)が記してある兜の前立、加藤清正公束帯姿画像(日遥上人筆)、加藤清正公虎退治屏風などがあります。
騎馬の名手としても名高い清正にちなみオートバイ用のお守も授与。
加藤清正は、永禄5年6月24日(1562年7月25日)生まれ(秀吉よりも25歳年下)、新暦に直して7月24日は『清正公御正当大祭』、さらに毎月24日は『清正公例祭』が執り行なわれています。
妙行寺(加藤清正生誕の地) | |
名称 | 妙行寺(加藤清正生誕の地)/みょうぎょうじ(かとうきよまさせいたんのち) |
所在地 | 愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷22 |
関連HP | 妙行寺公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄東山線中村公園駅から徒歩10分 |
ドライブで | 名古屋高速5号万場線黄金出口から約4km |
駐車場 | 6台/無料 |
問い合わせ | 妙行寺 TEL:052-412-3362 |
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