知多半島の愛知県美浜町にある真言宗の寺が野間大坊(のまだいぼう)。正式名は鶴林山無量寿院大御堂寺(かくりんざんむりょうじゅいんおおみどうじ)。奈良時代に役小角(えんのおづぬ)が建立、聖武天皇の御代に行基が中興と伝わる古刹で、空海が護摩を焚いたという伝説も残される名刹です。尾張三十三観音8番札所。
境内には源義朝、織田信孝の墓も
その後、平安時代の承暦年間(1077年~1081年)に白河天皇の勅願寺に。
境内では法山寺で配下の長田父子に暗殺された源義朝(源頼朝の父)の墓があります。
鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』によれば、源頼朝は、建久元年10月25日(1190年11月24日)、上洛途中に墓参に訪れています。
寺伝ではその際、伽藍を整備し自らの守本尊(念持仏)である地蔵菩薩像を安置したと伝えられ、祈願成就の寺として知られています。
源義朝は、正月三日の初湯に招かれ、湯殿で「我に木太刀の一本でもあれば」と無念の死を遂げたことから、墓所にはたくさんの木太刀が奉納されています。
戦国時代には豊臣秀吉や源氏の末裔を称した徳川家康の庇護を受けています。
愛知県の文化財に指定される客殿は、秀吉ゆかりの伏見桃山城の客殿を移築という伝承もあります。
織田信長の三男・織田信孝(おだのぶたか)は、清洲会議の後、柴田勝家に与して秀吉と対立し、野間大坊に退き、織田信雄の命により、安養院で自害しています。
境内には織田信孝の墓所もあります。
源頼朝の造営と伝わる大門や、鎌倉幕府第5代将軍・藤原頼嗣(ふじわらのよりつぐ)の寄進による建長2年(1250年)の銘の梵鐘(国の重要文化財)などが現存。
知多四国八十八箇所霊場の札所としては、本堂が大御堂寺(50番札所)、客殿(本殿)が野間大坊(51番札所)と分けられています。
狩野探幽の『義朝公最期図』(複写/実物は国の重要文化財)を使っての「源義朝公最期の絵解き」は客殿(本殿)で行なわれています。
名称 | 野間大坊(大御堂寺)/のまだいぼう(おおみどうじ) |
所在地 | 愛知県知多郡美浜町野間東畠ケ50 |
関連HP | 野間大坊(大御堂寺)公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄知多新線野間駅から徒歩14分 |
ドライブで | 南知多道路美浜ICから約8km |
駐車場 | 300台/無料 |
問い合わせ | TEL:0569-87-0050 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag