深溝断層

深溝断層

第二次世界大戦さなかの昭和20年1月13日3:38に発生した三河地震の痕跡が、愛知県額田郡幸田町深溝(こうたちょうふこうず)に残される深溝断層(ふこうずだんそう)。三ヶ根山(さんがねさん)と遠望峰山(とぼねやま)に挟まれ、東海道線三ヶ根駅のある深溝地区に断層露頭があり、愛知県の天然記念物に指定されています。

戦時下に起きた三河地震は報道統制でまったく知られてない

幸田村(現・幸田町)では41戸の家が倒れ25人の死者が出ています。
幡豆郡横須賀村(現・西尾市吉良町北部)の被害は甚大で、死者255人、倒壊家屋1万3400戸を数えるほどでした。
当時、愛知県は軍需産業の中心地で、B29の爆撃が続く戦時下ということで(戦意喪失の恐れから)、報道統制が敷かれ、まったく知られることはありませんでした。

断層面は、三河湾から形原、深溝、幡豆をとおり西尾まで続く全長28kmもの断層で、断層の南西側(三ヶ根山側)で隆起が、北東側で沈降が確認されています(最大落差1.5m、水平変異1m)。
富士山が3つの火山体からなることを解明した地質学者・津屋弘逵(つやひろみち)東大名誉教授が深溝断層と名付けています。

深溝断層の保存場所では、地震による地表のずれを示した支柱(変位量が2本の杭で示されています)と、記念碑が建てられています。

三河地震
マグニチュード6.8の三河湾直下型で、現在の震度でいえば被害の大きかった地域では震度7だったと推測されています。
前年の昭和19年12月7日に発生した昭和東南海地震の最大規模の余震とする説、それに誘発されて発生する説があります。
戦時下で記録があまり残されていませんが、愛知県幡豆郡と碧海郡で死者2652人に達したと記される帝国議会秘密会の速記録集の発見されています。
1861(万延2)年2月14日に発生した文久西尾地震が同じ震源域ではないかと推測されています。
三河地震
戦時下の報道統制で、ほとんど記録が残されていません
三河地震
地震を伝える新聞記事もこんなに簡潔
深溝断層
名称 深溝断層/ふこうずだんそう
Fukozu Fault
所在地 愛知県額田郡幸田町深溝
関連HP 幸田町観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR三ヶ根駅から徒歩30分
ドライブで 国道23号(岡崎バイパス)幸田桐山ICから約2km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 幸田町生涯学習課 TEL:0564-62-1111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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