明治23年11月7日に、外国人の賓客が宿泊できる本格的な西洋式ホテルとして開業した帝国ホテル。初代の建物は大正8年に失火で焼失。その後、フランク・ロイド・ライト設計の本館「ライト館」が大正12年9月1日に竣工。昭和39年の新本館建設で玄関部分が博物館明治村の5丁目に十数年の歳月をかけて移設され、現存。
フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルのエントランスが現存
9月1日に落成記念披露宴の準備の最中に関東大震災が発生という、ドラマチックな幕開けの帝国ホテル「ライト館」。
ライトの帝国ホテル建設に懸ける熱い思いもあり、大正6年に来日し、大正8年に着工。
その完璧主義から、何度も設計変更が必要となり、大幅な予算オーバーが発生。
責任を取ってライトを呼んだ総支配人・林愛作の辞任へと発展しています。
大正11年7月にはライトも離日し、その後は弟子である遠藤新の指導で完成に導いています。
ホテルとしては世界で初めて全館にスチーム暖房を採用するなど、耐震防火に配慮するなどの最新鋭の設備を誇っていました。
シンメトリー(左右対称)な設計で建物の左右に客室棟が配されていました。
外観の軒や手摺の白い部分は大谷石(栃木県の大谷で産する石)で水平を強調し、その大谷石には幾何学模様の彫刻が施されています。
構造は、レンガ型枠鉄筋コンクリート造りで、明治村に移築された玄関を入ると、3階までの吹き抜けとなったメインロビーで、吹き抜けには大谷石でできた「光の籠柱」(ひかりのかごばしら=テラコッタと大谷石を組み合わせ、照明を兼ねた柱)と往時の雰囲気が今に伝わってきます。
吹き抜けの周囲に配された空間(スペース)の、床の高さ、天井の高さが異なっている点にも注目を。
左右の廻り階段を上ったそれぞれのポイントから、新しい視界がひらけるという、ドラマチックな導線になっているのです。
レンガは常滑の「帝国ホテル煉瓦製作所」で焼成
吹き抜けの「光の籠柱」とともに、左右ラウンジ前の大谷石の壁泉、食堂前の「孔雀の羽」と呼ばれる大谷石の大きな照明器具(ブラケット)にも注目を。
高窓から陽光が降り注ぐというライト設計の採光で、日中は透し彫り煉瓦や大谷石などの彫刻の陰影が意味出されるという心憎い演出が。
黄色い煉瓦(スダレ煉瓦=スクラッチタイル)や装飾テラコッタ(装飾用素焼の陶器)、大谷石を用いることにより、日本人の感覚に合う温かみのあふれる建物となり、この帝国ホテル本館の通称「ライト館」が近代日本を象徴する建築物となったのです。
関東大震災でもこの鉄筋コンクリート構造にスクラッチタイル張りの建物がびくともしなかったことから、「ライト館」がきっかけとなって、外装タイルとしてのスクラッチタイルが人気を博することになったのです。
ライトの材料と色へのこだわりは強く、煉瓦の色に当時一般的であった赤ではなく黄色みの色を求め(スダレ煉瓦)、明治維新後の上下水道の整備で土管が焼かれていた愛知県知多半島・常滑周辺の粘土を使用した煉瓦が採用されています。
レンガは、常滑に設けられた専用工場「帝国ホテル煉瓦製作所」で焼かれましたが、伊奈初之烝(いなはつのじょう=TOTO創立者である大倉和親の支援を受け大正10年、伊奈製陶所を開業)と伊奈長三郎親子が技術指導し、450万個という大量生産のレンガと、ライトが指示する何万もの繊細な形をしたテラコッタが完成したのです。
その技術と伝統は、伊奈製陶(後のINAX、現在のLIXIL)に引き継がれたことを考えると、「ライト館」の玄関部分が明治村に移設されたのは、同じ愛知県ということで「里帰り」ともいえる結果になっているのです。
国の登録有形文化財、さらに「外貨獲得と近代日本の国際化に貢献した観光産業草創期の歩みを物語る近代化産業遺産群」として経済産業省の近代化産業遺産に認定。
帝国ホテル中央玄関2階には、「帝国ホテル喫茶室」も営業。
博物館明治村・帝国ホテル中央玄関 | |
名称 | 博物館明治村・帝国ホテル中央玄関/はくぶつかんめいじむら・ていこくほてるちゅうおうげんかん |
所在地 | 愛知県犬山市内山1 |
関連HP | 博物館明治村公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄犬山線犬山駅から名鉄バス明治村行きで20分、終点下車すぐ |
ドライブで | 中央自動車道小牧東ICから約4.6km |
駐車場 | 900台/有料 |
問い合わせ | 博物館明治村 TEL:0568-67-0314/FAX:0568-67-0358 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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