大庄屋三木家住宅

大庄屋三木家住宅

兵庫県神崎郡福崎町にある姫路藩の大庄屋の遺構が、大庄屋三木家住宅。三木家は、明暦元年(1655年)、港町・飾万津(しかまづ)からこの地に移り住み、大庄屋となりました。「民俗学の父」といわれる柳田國男との縁も深い名家で、建物は兵庫県の文化財に指定されています。

姫路藩の大庄屋の遺構には、柳田國男ゆかりの部屋も

もともと三木家は英賀城主(岩繋城主)でしたが、天正8年(1580年)、羽柴秀吉の中国攻めで、三木城、英賀城は陥落、明暦元年(1655年)に現在の辻川に移ったと伝えられています。
現存する主屋の鬼瓦に元文2年(1737年)との銘があるので、その頃の建物かもしれません。
土蔵(内蔵)は元禄10年(1697年)築なので、17世紀末〜18世紀前半の建物群ということに。

柳田國男は、11歳のとき、親の手元を離れて父の友人である三木家に預けられていますが、その家が現存する大庄屋三木家住宅。
「多分家が貧しくて育てにくかった為であろうと思う。三木氏には先代に学者があって、近郷にも珍しい沢山の書物を蔵して居た。それをこの幼少なる食客は、自由に出して読むことを許されて居たのである」(柳田國男『ささやかなる昔』)という三木家の蔵書が、柳田國男の博物学的知識のベースにつながってもいるのです。

「村に帰っても、私には伯父も伯母もないので、すぐにお宮へ詣って、山の上から自分たちの昔住んでいた家の、だんだん変形して心から遠くはなれてゆくのを寂しく思い、行く所といえばやはり三木の家であった」(『故郷七十年』辻川の変化)と記しているように、故郷に帰った際にしばしば立ち寄ったのが、この三木家。

「私はこの三木家の恩誼を終生忘れることができない」(柳田國男『故郷七十年』幼時の読書)というほどで、1年間ほど預けられた柳田國男が暮らしたと推測される部屋(役所の間の吊り階段を上った3畳間)も、もちろん現存しています。

姫路市にある「林田大庄屋旧三木家住宅」の三木家も英賀城主三木氏の出自(英賀城主・三木通秋の弟・定通の末裔)と伝えられるので、親戚ということに。

大庄屋三木家住宅
大庄屋三木家住宅
名称 大庄屋三木家住宅/だいしょうやみきけじゅうたく
所在地 兵庫県神崎郡福崎町西田原1106
関連HP 福崎町教育委員会公式ホームページ
電車・バスで JR福崎駅から徒歩25分
ドライブで 中国自動車道福崎ICから約2km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 大庄屋三木家住宅 TEL:0790-23-0033
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
柳田國男生家

柳田國男生家

兵庫県神崎郡福崎町、辻川山公園にあるのが柳田國男生家(やなぎだくにおせいか)。民俗学者・柳田國男は、明治8年7月31日、飾磨県神東郡辻川村(現:兵庫県神崎郡福崎町辻川)に生誕。茅葺屋根の生家で、明治17年まで一家で暮らした家が福崎町立柳田國

 

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