比良城(佐々成政生誕地)

比良城

愛知県名古屋市西区比良にある中世の平城の跡が比良城(ひらじょう)。天文年間(1532年 – 1555年)、井関城から居城を移した佐々成宗(さっさなりむね)によって築かれ、その子・佐々成政(さっさなりまさ)は、天文5年(1536年)、比良城に生誕し、その後、織田信長に仕えています。

厳冬のアルプス越えで名高い佐々成政が生まれた城

佐々成政にはふたりの兄がいましたが、長男の佐々政次(さっさまさつぐ)は、永禄3年(1560年)、桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で討ち死に、次男の佐々孫介(さっさまごすけ)も弘治2年8月24日(1556年9月27日)、織田信長とその弟・織田信勝との家督争いに起因する稲生の戦い(いのうのたたかい)で没し、永禄3年(1560年)、家督を継いで比良城主になっています。

天正3年(1575年)、織田信長は越前国(えちぜんのくに=現・福井県嶺北地方)を制圧した後、府中を佐々成政が領有し、小丸城(こまるじょう/現・福井県越前市)を築いたため比良城は廃城になっています。

佐々成政は、天正9年(1581年)に富山城に移り、有名な厳冬の北アルプス越え(浜松の徳川家康に救援を求めた伝説ですが、真偽は不明)が行なわれるのは天正12年(1584年)のこと。

曹洞宗の寺、光通寺(こうつうじ)一帯が比良城の城跡といわれ、本堂の西隣りの墓地に「佐々成政城址の碑」が立っています。
城というものの、東西75m、南北80mほどの規模で、周囲に二重堀を巡らせた館に近いかたちだったと推測できます。
古くは平(ひら)と呼ばれた庄内川の河畔で、小牧・長久手の戦いの際には徳川家康が砦を築いています。

名古屋市営地下鉄鶴舞線・庄内緑地公園駅を起点に、庄内川右岸沿いを歩く「大乃伎(おおのぎ)・蛇池(じゃいけ)散策コース」もあり、コースの終点近くに比良城があります。

ちなみに、戦国時代に群雄割拠だった尾張国・三河国(愛知県)は、日本屈指の城郭保有県で、その数は300余もあります。
しかも三英傑といわれる信長、秀吉、家康の配下が後に大名となっているので、大名を生んだ城も数多く、比良城は無名の存在です。

比良城(佐々成政生誕地)
名称 比良城(佐々成政生誕地)/ひらじょう(さっさなりまさせいたんち)
所在地 愛知県名古屋市西区比良3-501
電車・バスで 東海交通事業城北線比良駅から徒歩5分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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