名古屋市千種区の千種通との交点を東端に、中村区の堀川に架る新州崎橋まで、名古屋市の中心部(中区)を東西4kmにわたって貫く100m道路が、若宮大通(わかみやおおどおり)。中央分離帯の上には名古屋高速2号東山線が走っています。沿線に名古屋総鎮守の若宮八幡社があるのが名の由来です。
戦後の「大中京再建の構想」で誕生した100m道路
久屋大通とともに名古屋市内に2ヶ所、全国的にも広島市の平和大通りと合わせて3ヶ所しかない100m道路のひとつで、戦後の「大中京再建の構想」で誕生した、名古屋復興のシンボル的な都市計画道路。
名古屋城天守を焼失させ、空襲で焼け野原になった名古屋中心部ですが(当時の市域の24%、3860haがを焼失、中心部の中区、東区 、熱田区は50%~60%を焼失)、昭和20年12月6日に「大中京再建の構想」として幅100m以上の公園道路2本、50m以上の幹線道路11本の計画を新聞紙上に発表、街路計画と同時に墓地集中移転(市内279ヶ所の墓所をまとめて1ヶ所に集中)、公園整備などを進めます。
その復興計画のキーパーソンが、土木工学者・田淵寿郎(たぶちじゅろう)です。
当時の名古屋市長・佐藤正俊の強い希望で、かつて内務省・名古屋土木出張所長を務めていた田淵寿郎(木曽三川の治水、今渡ダム調整などの河川工事を担当)が、疎開先の三重県から技監として招かれ、名古屋市の戦災復興計画を担当しています。
中央分離帯として若宮大通公園を設けているのは、防火対策だけでなく、地震などの災害時以外は市民が安全に歩ける場所を確保するという狙いもあります。
また、あまり知られていませんが、若宮大通の地下には新堀川の流量調整を目的した若宮大通調節池が設置され、地下鉄は走っていません。
沿線には伏見道路(50m道路)との交点に白川公園、久屋大通(100m道路)との交点に久屋大通庭園フラリエ、飯田街道との交点に吹上公園がありますが、吹上公園一帯は、名古屋刑務所があった場所(昭和39年に三好町、現・みよし市に移転)で、名古屋刑務所の移転により、若宮大通が完成しています。
道路は往復8車線(片側4車線)で、中央の若宮大通公園部分は幅員51m。
若宮大通 | |
名称 | 若宮大通/わかみやおおどおり |
所在地 | 愛知県名古屋市千種区・中区 |
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