愛知県岡崎市の名鉄東岡崎駅前、ペデストリアンデッキ上に設置されるのが、徳川家康公像。乙川リバーフロント地区整備事業の一環、新たな岡崎市のシンボルとして令和元年11月2日に除幕された新しい像で、松平から徳川に改姓した25歳当時の姿を描いた騎馬像です。
松平から徳川に改姓した25歳当時の姿を描いた騎馬像
像高5.3m、台座の高さ4.2mという巨大なもので、東岡崎駅を起点に、乙川リバーフロント地区、岡崎公園(岡崎城)へのルート途中に位置しています。
徳川家康公像デザイン検討会議がデザインを検討し、若々しい騎馬像であること、馬は静かにあるいていることなどを条件に、デザインコンクールを実施、さらに公益財団法人德川記念財団の監修を経て、彫刻家で名古屋芸術大学名誉教授・神戸峰男(かんべみねお)が制作。
永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元が討たれたことで岡崎城に帰城した松平元康(徳川家康)は、永禄4年(1561年)、織田信長と清洲同盟を締結、永禄6年(1563年)、今川義元からの偏諱である「元」の字を返上して元康から家康と名を改めています。
永禄7年(1564年)、三河一向一揆を鎮圧し、、永禄9年(1566年)頃には三河を統一。
永禄9年(1566年)には「新田氏支流世良田氏系統の清和源氏」と朝廷に訴えて、徳川姓に改姓していますが、家康の騎馬像はその頃をイメージしたもの。
永禄10年(1567年)には長男・竹千代(松平信康)と信長の娘・徳姫を政略結婚させ、岡崎城主を竹千代(松平信康)に譲り、自らは今川領遠江侵攻の拠点として浜松城に移っています。
まさに三河を固め、いよいよ天下統一の第一歩を踏み出した頃の家康で、三方原の戦いでの手痛い敗戦もまだ経験していない若武者でした。
徳川家康公像(銅像)は、徳川家康の生誕地でもある岡崎公園(岡崎城跡)にも立っています。
徳川家康公像 | |
名称 | 徳川家康公像/とくがわいえやすこうぞう |
所在地 | 愛知県岡崎市上明大寺町2-17-1 |
関連HP | 岡崎市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄東岡崎駅から徒歩2分 |
ドライブで | 東名高速道路岡崎ICから約3km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 岡崎市観光推進課 TEL:0564-23-6920 |
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