小坂鉱山事務所

江戸末期に発見された小坂鉱山(こさかこうざん)。その全盛期に藤田組によって建てられたのが小坂鉱山事務所。平成9年まで現役で使用されていましたが、平成13年、現在地に移築・復原。のちに鉱山の娯楽施設として建てられた芝居小屋・康楽館(こうらくかん)とともに、国の重要文化財に指定、そして近代化産業遺産に認定されています。

日本一の銅山だった小坂鉱山の栄華を今に伝える洋館

江戸時代後期の1816(文化13)年、金、銀の鉱山として開発が始まった小坂鉱山。
明治2年、盛岡藩(南部藩)営から官営になり、官営鉱山として土鉱から金銀銅を産しましたが、資源が枯渇。
明治17年に藤田組に移管されました。

その後、一度は閉山の危機に瀕しましたが、1900年代初頭、土鉱より深い場所で豊富に眠る黒鉱鉱床から金属を製錬するという「黒鉱自溶製錬」の技術革新により復活を果たしました。
明治35年には、足尾銅山、別子銅山とともに小坂鉱山は、日本三大銅山と称されるように。
さらに、明治40年には当時の秋田県「歳入決算額」の8倍という生産額日本一を達成しています。

そんな全盛期の明治38年、当時事業を引き継いでいた藤田組によって建てられたのが、小坂鉱山事務所。
平成13年に旧小坂鉱山病院跡地に移築復元(ただし建物の向きは180度転換)されています。

玄関ホール中央には欅造りのらせん階段が

建物全体はルネッサンス風様式の木造3階建てですが、サラセン(イスラム)風のバルコニーが付いた玄関ポーチや、1階から3階まで欅(けやき)造りのらせん階段などが特徴的。
とくにらせん階段の気品ある優美な曲線美には注目を。

3階の常設展示室には、明治・大正期の資料を中心に、近代鉱山の基礎を築いたといわれるドイツ人技師、クルト・アドルフ・ネットー(Curt Adolph Netto/明治6年、工部省官営小坂鉱山冶金技師として来日)に関する資料などを展示。

また小坂産桃豚を使った味噌カツなどが味わえる「藤田倶楽部あかしあ亭」(レストランのみの利用も可能)や、アカシアはちみつ、ひめます燻製、甘露煮など小坂町の特産品を販売するショップ「明治百年堂」も併設。
館内の「モダン衣裳室」では、レンタルドレスを着て記念撮影も可能です。

有数の金属供給源として近代化に貢献した東北地方の鉱業の歩みを物語る
近代化産業遺産群
明治初年の官営鉱山時代に外国人技師クルト・アドルフ・ネットーがドイツ式の溶鉱炉を設置するなど、近代的な生産技術の基礎を築いた小坂鉱山(現・秋田県小坂町)、官営時代にドイツ人アドルフ・メッケルらを招聘し、新式製錬所を整備するなど設備の近代化を進め、明治18年に古河市兵衛に払い下げられた阿仁鉱山(秋田県北秋田市)、4名の外人技師を傭聘するとともに巨大な投資により経営の近代化が進められ、明治17年に古河市兵衛に払い下げられた院内鉱山(秋田県湯沢市)、明治時代に岩崎家、さらに三菱合資会社が経営した尾去沢鉱山(秋田県鹿角市)、さらに松尾鉱山(岩手県八幡平市)、細倉鉱山(宮城県栗原市)は、日本の金属供給源として、明治初期の「富国強兵」「殖産興業」政策に貢献し、近代産業の発展を支えました。

小坂町では、小坂鉱山関連遺産として小坂鉱山事務所、康楽館、旧小坂鉱山病院記念棟が近代化産業遺産群に認定されています。

旧小坂鉱山病院記念棟
小坂鉱山事務所
名称 小坂鉱山事務所/こさかこうざんじむしょ
所在地 秋田県鹿角郡小坂町鉱山古館48-2
関連HP 小坂町公式ホームページ
電車・バスで JR十和田南駅から秋北バス小坂町行きで20分、小坂小学校前下車、徒歩4分
ドライブで 東北自動車道小坂ICから約2.7km
駐車場 150台/無料
問い合わせ 小坂鉱山事務所 TEL:0186-29-5522/FAX:0186-29-5526
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
明治百年通り

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2018年8月2日
小坂鉄道レールパーク

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2018年8月2日

小坂町総合博物館郷土館

2017年7月25日

康楽館

2017年7月24日

 

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