秋田県秋田市の千秋公園は、日本100名城にも選定される久保田城の城跡。関ヶ原の戦いで不戦を貫いた佐竹義宣(さたけよしのぶ)が常陸国から秋田国に転封となり、築城した城。久保田藩の藩庁となり、明治維新まで佐竹氏が藩主を務めています。その久保田城には天守風の建物がそびえています。
もともと天守はもちろん、石垣もほとんどなかった!

秋田市は久保田城の解説として「久保田城の特徴は、石垣がほとんどなく堀と土塁を巡らした城であることと、天守閣をはじめから造らなかったことが挙げられます」と記述。
明確に天守の存在を否定しています。
秋田に転封された佐竹義宣が守りやすく攻めづらいという利点で神明山(現在の千秋公園)に新城を築き、さらに山麓に城下町を整備したもの。
この城下町が県都となった秋田市です。
旧領主・秋田氏の居城は日本海の貿易を重視して、湊城でしたが、佐竹義宣は平城であることで、防衛力のない点を危惧して、あえて新城を築いたのです。
慶長8年(1603年)に築城が開始され、慶長9年(1604年)には佐竹氏も入城していますが、天守を築かなかったのは、関ヶ原の合戦での微妙な立ち位置でなんとかお家断絶を免れた佐竹氏の徳川家康への配慮から、さらに国替えによる財政事情、大坂の陣などの軍役の経費増大が理由だったと推測できます。
もともとは2層、現在は4層に嵩上げした「復元隅櫓」

では、そびえ立つ天守風の建物(模擬天守)は、何なのでしょう。
実は、久保田城にはそもそも天守がなかったので、それを支える石垣や天守台もありません。
建物が建つのは、本来は御隅櫓(おすみやぐら)と称する隅櫓が建つ場所。
秋田市は「史料に記されている2階造りを基本とした設計で、最上階には展望台が設けられています」とする通りに、内部は2層で、その上に望楼(展望室)をのせたかたち。
「櫓内部では、佐竹氏の歴史を紹介するパネル展示をしています」とあくまで櫓であることを強調しています。
平成元年、市制100周年記念事業で「復元」されたという隅櫓ですが、本来は簡素な2層の櫓が建っていた場所です。
外見上はどうみても4層(3重4階)で、「2層に展望室を足しただけ」というのは、どうにも言い訳に聞こえてしまいます。
行政的には、すべての文書で「復元」としていますが、山麓から見えるシンボルタワー的な意味合いをも期待して、3重4階にしたものだと推測できます。
石垣も天守もなかった城だったことを認識して、登城を。

| 確実に誤解を生む! まさかの天守閣(13)久保田城(秋田城)|秋田県 | |
| 名称 | 久保田城(秋田城)/くぼたじょう(あきたじょう) |
| 所在地 | 秋田県秋田市千秋公園 |
| 電車・バスで | JR秋田駅から徒歩5分 |
| ドライブで | 秋田自動車道秋田中央ICから約6.5km、または、秋田南ICから約12k |
| 駐車場 | 千秋公園有料駐車場(14台/有料、桜まつり期間中は使用不可) |
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