世界遺産への国内推薦候補に選定の「飛鳥・藤原の宮都」とは!?

飛鳥・藤原の宮都

平成19年の世界遺産暫定リスト登録されながら、大阪の「百舌鳥・古市古墳群」が令和元年に世界遺産に登録されて、先を越されたと地元が嘆いていた「飛鳥・藤原の宮都」。17年の時を経て国内推薦候補に決まりました。今後、地元自治体は、「世界のASUKA-FUJIWARA」に向けて情報発信を行なっていく予定です。

飛鳥時代、中央集権体制の確立を急ピッチに進めた宮都

飛鳥・藤原の宮都
飛鳥板蓋宮跡

「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」は、東アジアとの政治的・文化的交流によって日本国国内では初となる中央集権体制に基づいた宮都誕生地とそれに関係する寺院などの遺構のこと。

592年(崇峻天皇5年)、推古天皇(すいこてんのう=日本史上最初の女帝とも)が飛鳥の豊浦宮(とゆらのみや/現・奈良県明日香村豊浦)で即位し、710年(和銅3年)に都が飛鳥・藤原京から平城京に遷る間が、飛鳥時代。
推古天皇は、隋に遣隋使を初めて派遣、日中の外交関係の構築が行なわれるとともに、交流に伴って仏教が興隆した時期です。
夫・敏達天皇の死去により、天皇になっていますが、この時代はまだ皇后という概念もない時代。
まさに天皇制、仏教などとともに日本のルーツ、土台が築かれたのがこの「飛鳥・藤原の宮都」になります。

女帝・推古天皇は、国家の方針として仏教を受容する「三宝興隆」の詔を発布(三宝=仏・法・僧)、仏教を許す代わりに王権に対して忠誠を誓わせたのです。
飛鳥に都が移るのに先駆け、蘇我馬子は588年(崇峻天皇元年)に法興寺(飛鳥寺)の造営を開始、「三宝興隆」の詔とともに、蘇我氏を中心に飛鳥には寺(古代寺院)が築かれていったのです。

国際関係でも中国は長らく南北朝時代が続いていましたが、589年に隋の文帝(ぶんてい)が中国を統一し、仏教を重視した政策を推進、均田制、貨幣の統一など、大興城(だいこうじょう=後の長安)を都に、中央集権国家として歩み始めていました。
その随に、朝鮮半島の百済(くだら/ペクチェ)、新羅(しらぎ/シルラ)も遣隋使を送っていたので、600年に倭国からも遣隋使が派遣されたのです。
しかし、この遣隋使は「此れ太だ義理なし」と日本にはその資格がないとして追い返されているので、『隋書』のみ記録が残され、『日本書紀』には記載がありません。

603年(推古天皇11年)、冠位十二階の制定、604年(推古天皇12年)の憲法十七条の制定などは、遣隋使の失敗に学んで、外交儀礼ができるレベルにまで急遽、国家体制を整えようとしたものだと推測できます。

こうした体制づくりを始めるためには当初の豊浦宮では国の行政機関としては手狭だったため、603年(推古天皇11年)、近くの小墾田宮(おはりだのみや)に遷宮しています。
当然、初回の遣隋使の失敗の反省から、第2回遣隋使と、それによる隋使の来訪と歓待を意識した宮廷が築かれたのだと推測できます。
冠位十二階の制定、十七条憲法の制定、そして607年(推古天皇15年)第2回遣隋使派遣などの重要な税時的な決定は、この小墾田宮で行なわれています。

こうした日本という国家の基盤が築かれた時代が飛鳥時代、土地が「飛鳥・藤原の宮都」ということになります。
構成資産となる飛鳥宮跡は飛鳥板蓋宮(皇極天皇)、飛鳥岡本宮(舒明天皇・斉明天皇)、飛鳥浄御原宮(天武・持統両天皇)のことで、中国の都城にならい、日本で初めて建設された本格的都城「藤原宮跡」が、「飛鳥・藤原の宮都」ということになります。

飛鳥・藤原の宮都
藤原宮跡のコスモス畑
世界遺産への国内推薦候補に選定の「飛鳥・藤原の宮都」とは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
飛鳥宮跡

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