安心して夜景鑑賞ができる! 函館山にはヒグマがいない!
北海道で「ヒグマのいない聖地」というのは離島の利尻島、 礼文島、天売島、焼尻島、奥尻島などだけで、その他の場所はほぼ全域にヒグマの出没の可能性があります。道南・渡島半島も同様ですが、函館市街地にそびえる函館山に…
01北海道北海道で「ヒグマのいない聖地」というのは離島の利尻島、 礼文島、天売島、焼尻島、奥尻島などだけで、その他の場所はほぼ全域にヒグマの出没の可能性があります。道南・渡島半島も同様ですが、函館市街地にそびえる函館山に…
42長崎県長崎県長崎市、幕末に徳川幕府と列強4ヶ国で結ばれた江戸条約で設置が決まった条約灯台のひとつが、伊王島北端の伊王島灯台。灯台と同様にブラントン設計の吏員退息所(灯台守の宿舎/長崎県の有形文化財)は、伊王島灯台記念館として再…
42長崎県長崎県長崎市の伊王島にある六角形の灯台。幕末の慶応2年(1866年)、列強4ヶ国(アメリカ、イギリス、フランス、オランダ)との間で締結された江戸条約に基づき設置された条約灯台・全国8灯台のひとつ。明治3年6月に仮点灯、明…
NEWS&TOPICS安政5年(1858年)、徳川幕府は列強5ヶ国と通商条約が締結され、開国へと踏み切ります。その時約束したのが近代的な灯台。そこで幕府は横須賀製鉄所(横須賀造船所)の建設を担ったフランス人ヴェルニー(Verny)に依頼し、江…
09栃木県大猷院(たいゆういん)は徳川家光の諡号(しごう=おくり名)。家光は祖父である徳川家康を祀る日光東照宮の大改修(寛永の大造替)を行ない、自らも祖父の近くに眠ることを選んだのです。世界遺産「日光の社寺」の構成資産で、境内には…
26京都府二条城の本丸にあるのが国の重要文化財に指定される本丸御殿ですが、もともと二条城の建築物ではありません。明治時代、二条城は皇室の「二条離宮」となりましたが、明治26年〜明治27年に荒廃した二条城を整備するため、御所の北にあ…
26京都府江戸時代、徳川将軍の京における宿泊施設、そして諸大名や公家との対面所となったのが、二条城の二の丸御殿。入口の車寄から、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間と続き、御三家や高位の公家などとの対面所となった黒書院の先、最奥にあるのが…
26京都府黒書院は、江戸城、二条城などにおける最も日常的な対面の空間。徳川御三家、加賀前田家、越前松平家や老中などとの対面の場となっていました。二の丸御殿入口の車寄から遠侍、式台、大広間、廊下部分の蘇鉄の間を抜けると、黒書院。大広…
NEWS&TOPICS気候変動での生態系の変化、ブナの大凶作、山里・市街地に餌があることを覚えたハイブリッド熊の出現など、近年は熊との遭遇率が急速に上昇しています。東北などでは都市部の公園にも熊が出没する例もあり、お出かけの際にはまずは各県の…
30和歌山県和歌山県和歌山市の加太沖、紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島。瀬戸内海国立公園に指定される沖ノ島の西端、淡路島との間にある友ヶ島水道にある灯台で、慶応3年(1867年)4月、兵庫開港に伴う外国船の安全航行を確保するため、幕府がイギリ…
22静岡県静岡県下田市の、下田港沖11kmに位置する小島、神子元島(みこもとしま)に建つ灯台が神子元島灯台。明治3年11月11日(1871年1月1日)に初点灯という歴史ある灯台で、海上保安庁の日本の灯台50選、そして、国際航路標識…
25滋賀県意外に知られていませんが、滋賀県も湖北地域、湖西地域はツキノワグマの生息エリア。とくに湖西地域では比叡山のある大津市が、山から里へと降りてくる熊もいるため、県都でありながら遭遇率が高い都市となっています。大津市では「大津…
46鹿児島県鹿児島県南大隅町、大隅半島の先端・佐多岬突端の断崖から50m沖の大輪島に建つ灯台が佐多岬灯台。リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、明治4年10月18日に初点灯。初代の灯台は昭和20年に空襲により焼失、現在の灯台…
11埼玉県埼玉県内でツキノワグマの目撃件数は、2023年度に144件で過去最多となっていますが、2025年はそれを超えるペース。埼玉県には熊のイメージはあまりありませんが、実は冬眠明けから7月までの間だけでも例年10頭以上が駆除さ…
30和歌山県和歌山県東牟婁郡串本町、くしもと大橋で結ばれる紀伊大島の東端、樫野崎(かしのざき)に建つのが樫野埼灯台(かしのさきとうだい)。ブラントン設計の日本最初の石造灯台で、慶応2年(1866年)年、イギリス、フランス、オランダ、…
26京都府3代将軍家光の時、大御所となった徳川秀忠が大改修したのが現存する二条城の二の丸御殿。入口からいずれも国宝となった6棟が続きますが、遠侍、式台に続くのが大広間です。将軍と大名や公卿衆との公式の対面所で、最後の将軍となった徳…
26京都府大坂(現・大阪)など西国の監視、徳川将軍の京滞在時の宿舎として築城されたのが二条城。将軍の宿所、そして諸大名や天皇からの勅使の接待所となったのが、二の丸御殿です。車寄から内部に入り、遠侍を抜けると式台です。式台の間、老中…
26京都府京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として造営された二条城。将軍の宿泊所として建てられた御殿が、二の丸御殿です。その入口部分の建物が遠侍(とおざむらい)。車寄せがあり、その奥に、一の間、二の間、三の間、芙蓉の間、若松の間な…