二条城・西門
京都府京都市中京区、江戸時代には将軍の京滞在時の宿所、明治維新後は皇室の離宮となったのが二条城。外堀沿い、城郭の西側にあるのが西門で、江戸時代には通用門として活用されていました。後水尾天皇の行幸を前にした寛永3年(162…
26京都府京都府京都市中京区、江戸時代には将軍の京滞在時の宿所、明治維新後は皇室の離宮となったのが二条城。外堀沿い、城郭の西側にあるのが西門で、江戸時代には通用門として活用されていました。後水尾天皇の行幸を前にした寛永3年(162…
01北海道北海道根室市納沙布、明治5年に「灯台の父」といわれるR.H.ブラントン(Richard Henry Brunton)が建てた八角形の木造洋式灯台がルーツという歴史ある灯台。北海道で最古の灯台で、北方領土を除いて日本最東端…
26京都府徳川将軍の京滞在時の宿所、そして朝廷や諸大名との会見の場となったのが二条城。幕府の威信をかけて築城されていますが、城としての機能を維持するため、米蔵、金蔵、武器庫などの土蔵も多数構築されていました。内堀の西北にある土蔵が…
26京都府徳川将軍の京滞在時の宿所、そして朝廷や諸大名との会見の場となったのが二条城。幕府の威信をかけて築城されていますが、城としての機能を維持するため、米蔵、金蔵、武器庫などの土蔵も多数構築されていました。内堀の西南にある土蔵が…
26京都府二条城・二の丸庭園の西、内堀沿いに北面して建つのが桃山門。南側の桃山門と対を成し、本丸への通路を守備する門のひとつ。この門を通って南下すると本丸の入口、本丸楼門(本丸東櫓門)となります。脇戸付一間門という小振りな切妻造り…
NEWS&TOPICSJR東日本でも首都圏の特急は全車指定席。JR北海道も2026年春から在来線特急を全列車指定席になるなど「全車指定席時代」が到来しています。急な出張が決まった、冠婚葬祭で特急に乗る必要があるという時に、希望する特急が満席と…
NEWS&TOPICS列強の圧力から徳川幕府は開港を決意しますが、それに伴って、慶応2年(1866年)、イギリス、フランス、アメリカ、オランダと結んだのが江戸条約(改税約書)。江戸条約では開国場への国際航路の安全を確保するため、8ヶ所に近代的…
26京都府二条城・二の丸庭園の西、内堀沿いに南面して建つのが桃山門。北側の鳴子門と対を成し、本丸への通路を守備する門のひとつ。この門を通って北上すると本丸の入口、本丸楼門(本丸東櫓門)となります。入母屋造り、本瓦葺きの長屋門は、国…
26京都府京都府京都市中京区、徳川将軍の京滞在時の宿所で、朝廷や諸大名との会見の場となったのが、二条城。本丸への登城ルート途中、本丸を囲む内堀の南側にあるのが、南中仕切門。内堀の西にあった本丸西櫓門(焼失して現存していません)への…
26京都府京都府京都市中京区、徳川将軍の京滞在時の宿所で、朝廷や諸大名との会見の場となったのが、二条城。警備も厳重で門の数も多く、本丸を囲む内堀の北にあるのが、北中仕切門。内堀の西にあった本丸西櫓門(焼失して現存していません)への…
26京都府京都府京都市中京区、二条城の玄関口である東大手門を入ったところにあるのが、番所。二条城は徳川幕府から派遣された二条在番と称される武士たちが宿直し、警護にあたっていましたが、その詰所となるのが番所です。1組50人の在番が2…
01北海道北海道で「ヒグマのいない聖地」というのは離島の利尻島、 礼文島、天売島、焼尻島、奥尻島などだけで、その他の場所はほぼ全域にヒグマの出没の可能性があります。道南・渡島半島も同様ですが、函館市街地にそびえる函館山に…
42長崎県長崎県長崎市、幕末に徳川幕府と列強4ヶ国で結ばれた江戸条約で設置が決まった条約灯台のひとつが、伊王島北端の伊王島灯台。灯台と同様にブラントン設計の吏員退息所(灯台守の宿舎/長崎県の有形文化財)は、伊王島灯台記念館として再…
42長崎県長崎県長崎市の伊王島にある六角形の灯台。幕末の慶応2年(1866年)、列強4ヶ国(アメリカ、イギリス、フランス、オランダ)との間で締結された江戸条約に基づき設置された条約灯台・全国8灯台のひとつ。明治3年6月に仮点灯、明…
NEWS&TOPICS安政5年(1858年)、徳川幕府は列強5ヶ国と通商条約が締結され、開国へと踏み切ります。その時約束したのが近代的な灯台。そこで幕府は横須賀製鉄所(横須賀造船所)の建設を担ったフランス人ヴェルニー(Verny)に依頼し、江…
09栃木県大猷院(たいゆういん)は徳川家光の諡号(しごう=おくり名)。家光は祖父である徳川家康を祀る日光東照宮の大改修(寛永の大造替)を行ない、自らも祖父の近くに眠ることを選んだのです。世界遺産「日光の社寺」の構成資産で、境内には…
26京都府二条城の本丸にあるのが国の重要文化財に指定される本丸御殿ですが、もともと二条城の建築物ではありません。明治時代、二条城は皇室の「二条離宮」となりましたが、明治26年〜明治27年に荒廃した二条城を整備するため、御所の北にあ…
26京都府江戸時代、徳川将軍の京における宿泊施設、そして諸大名や公家との対面所となったのが、二条城の二の丸御殿。入口の車寄から、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間と続き、御三家や高位の公家などとの対面所となった黒書院の先、最奥にあるのが…