平城宮跡・大極殿
奈良時代の日本の首都、平城京。日本の古代の都は、唐の条坊制を模範に造営されているため、平城京の中央北辺に朝廷の正殿となる大極殿(だいごくでん)などのある平城宮(内裏)を配置しました。平城京の南端中央にある羅城門(平城京正…
奈良時代の日本の首都、平城京。日本の古代の都は、唐の条坊制を模範に造営されているため、平城京の中央北辺に朝廷の正殿となる大極殿(だいごくでん)などのある平城宮(内裏)を配置しました。平城京の南端中央にある羅城門(平城京正…
平城京の中央北側にあった宮城が平城宮で、東西1.3km、南北1kmの規模で周囲には高さ5mの大垣が巡らされていました。平城宮の正門にあたるのが平城宮の中心道路で幅74mの朱雀大路に面した朱雀門。平城京遷都1300年の記念…
日本におけるエンジンを使った初の動力飛行は、陸軍代々木練兵場(現・代々木公園)において明治43年12月11日〜20日に実施され、日野熊蔵大尉のグラーデ機および徳川好敏大尉のファルマン機が初飛行に成功しています。代々木公園…
728(神亀5)年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が始まりという東大寺。743(天平15)年、聖武天皇の大仏建立の詔により造られた「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とする東大寺ですが、そ…
奈良の大仏と呼ばれ親しまれている、銅造の盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)。華厳経の本尊で、743(天平15)年に聖武天皇の勅願により鋳造されたもの。東大寺の本尊にもなっています。752(天平勝宝4)年の開眼で国宝に指定…
東大寺の大仏殿(金堂)の前に配されているのが金銅八角灯籠。見逃しがちな灯籠ですが、実はこの灯籠、大仏開眼と同じ年、752(天平勝宝4)年の鋳造と推測され、国宝に指定されているのです。
大仏開眼の大供養が行なわれた752(天平勝宝4)年に始まった歴史ある行事が、東大寺・二月堂に伝わる『修二会』(しゅにえ・正しくは十一面悔過、通称「お水取り」)。現存する東大寺・二月堂は、1667(寛文7)年、「お水取り」…
世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産である薬師寺。人数に限りがありますが、例年、除夜の鐘を撞くことができます。例年は12月31日、23:30頃から白鳳伽藍にある鐘楼で除夜の鐘の所作が始まり、僧侶による読経の後、5人1組…
東大寺の梵鐘は、大仏開眼と同年の752(天平勝宝4)年の鋳造といわれ、高さ3.86m、口径2.71m、重さ26.3tの大鐘。平重衡(たいらのしげひら=平清盛の五男)の南都焼討で焼失後、鐘を吊るした鐘楼は鎌倉時代の承元年間…
東大寺で現存する最古の遺構が国宝の法華堂。三月堂とも呼ばれ、733年(天平5)の創建と伝わっています。旧暦の3月に『法華経』を講義する法会『法華会』(ほっけえ)が行なわれたことから、法華堂の名と三月堂の通称が生まれました…
東大寺は、741(天平13)年、聖武天皇の詔で、国家鎮護のため諸国に建立を命じた国分寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)の総本山。南側から南大門、中門、金堂(仏殿)、講堂と続く東大寺式伽藍配置は、諸国の国…
東大寺南大門の創建は奈良時代ですが、当初のものは平安時代に大風で倒壊。現存する南大門は、鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)により再建されたもので、1199(正治元)年から4年の歳月をかけ建てられた…
春日大社の正門である南門をくぐると正面に幣殿・舞殿(へいでん・ぶでん)が一棟になった神拝所(国の重要文化財)があります。神拝所の奥に朱塗りで荘重な造りの門が目に入りますが、これが中門。御本殿の直前にある楼門で10mの高さ…
徳島県阿南市にある四国八十八ヶ所霊場第22番札所が平等寺。寺伝によると792(延暦11)年、空海(弘法大師)がこの地で修行中、母親の厄除け祈願をしていたところ空中に五色の雲がたなびき、薬師如来を感得。100日の修行ののち…
標高600.1mの太竜寺山の山頂に建つ八十八ヶ所霊場第21番札所の太龍寺は、「一に焼山(焼山寺)、二にお鶴(鶴林寺)、三に太龍(太龍寺)」といわれる阿波の三難所の一つに数えられてきた。そのアプローチを大幅に改善したのが山…
春日大社は、主な社殿を取り囲むように鮮やかな朱塗りの回廊があります。二之鳥居をくぐり、表参道を歩いて春日大社の拝殿に向かうと、南回廊に設けられた南門があります。春日大社本殿の正面に位置するのが重層の南門で国の重要文化財。…
徳島県阿南市にある八十八ヶ所霊場第21番札所が太龍寺(たいりゅうじ)。20番の鶴林寺からは徒歩3時間。「一に焼山(焼山寺)、二にお鶴(鶴林寺)、三に太龍(太龍寺)」といわれる阿波の三難所の一つで、標高600.1mの太竜寺…
渋谷区を流れる宇田川(うだがわ)の上流、明治神宮・代々木公園の西縁、小田急線沿いを流れていたのが河骨川(こうほねがわ)で、戦前はのどかな農村風景が広がっており、国文学者・高野辰之は、春に花咲く河骨川を散策し、有名な『春の…