軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)

軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)

北九州港(北九州市若松区響町)にある一風変わった歴史を有する防波堤。太平洋戦争終結後、帝国海軍の艦船は戦時賠償として連合国に引き渡されたり、解体されたりしましたが、一部は船体そのものを防波堤の一部として再生しています。それが軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)です。土木学会による「近代土木遺産2800選」に選定。

駆逐艦「柳(初代)」は今もその姿が確認できる

終戦直後の昭和23年、北九州港がまだ若松港だった時代、駆逐艦「涼月」(すずつき/昭和17年進水、3470トン)、駆逐艦「冬月」(昭和19年進水、3470トン)、駆逐艦「柳(初代)」(大正6年進水、835トン)の3隻の船体を防波堤の基部として沈め、周囲をコンクリートで覆いました。
船体内部には岩石や土砂が詰め込まれて、沈設されたもの。
「凉月」と「冬月」は昭和20年年4月6日、戦艦「大和」の護衛のため沖縄に出撃した駆逐艦で、奇跡的に沈没することなく終戦を迎えています。

その後、改修が施され、現在では「涼月」と「冬月」はコンクリートで完全に埋設され、姿を確認することができませんが、「柳(初代)」はその形がわかるようになっています。
全長770mのうち400mが艦船部分です。

秋田港に未完成の駆逐艦「栃」、練習用駆逐艦「竹」、海防艦「伊唐」、京都府の竹野港には「春風(2代神風型駆逐艦)」、福島県の小名浜港には駆逐艦「澤風」、駆逐艦「汐風」、東京都・八丈島の神湊港には未完成の駆逐艦「矢竹」などが沈められましたが、現在でもしっかりと艦船だと確認できるのは北九州港の「柳(初代)」くらいです。

軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)
駆逐艦「柳(初代)」
軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)
名称 軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)/ぐんかんぼうはてい(ひびきなだちんかんごがん)
所在地 福岡県北九州市若松区響町1丁目
ドライブで 北九州都市高速若戸大橋口ランプから約8km
駐車場 10台/無料
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
コンクリート船「武智丸」

コンクリート船「武智丸」(沈船防波堤)

2021年2月2日

 

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