万田坑跡
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の23構成資産のひとつが熊本県荒尾市・福岡県大牟田市にある三井三池炭鉱の万田坑跡(まんだこうあと)。三井の総力を挙げて整備された、わが国最大規模の竪坑で、明治32築の…
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の23構成資産のひとつが熊本県荒尾市・福岡県大牟田市にある三井三池炭鉱の万田坑跡(まんだこうあと)。三井の総力を挙げて整備された、わが国最大規模の竪坑で、明治32築の…
安芸(あき=元・広島県西部)の宮島に鎮座する厳島神社は、社伝によれば推古元年(593年)創建という古社。海に浮かぶような現在の社殿配置は、久安2年(1146年)に平清盛が造営を行なっています。社殿から200m沖に建つ大鳥…
宮島、大元公園の入口に鎮座する古社が大元神社。厳島神社の摂社ですが、実はその名の通り、厳島神社のルーツとも推測されています。現存する建物は、大永3年(1523年)築で国の重要文化財。屋根は板葺きで、日本で唯一の「六枚重三…
旧暦6月17日、大潮の日に執り行なわれる厳島神社の『管絃祭』。16:00の発輦祭(はつれんさい)で始まり、23:00に御本殿に還御しますが、22:30頃、御座船や阿賀・江波の曳船が3回回る場所が、客神社(まろうどじんじゃ…
朱塗りの社殿や回廊が多い厳島神社(いつくしまじんじゃ)で、ひときわ異色の建物が天神社。その名の通り、菅原道真を祭神とする天満宮で、弘治2年(1556年)、毛利元就(もおりもとなり)の子、毛利隆元(もおりたかもと)の創建。…
世界文化遺産に登録される厳島神社には干潮時に、清水が湧く円形の池が3ヶ所あり、いずれも鏡の池と呼ばれています。そのなかの揚水橋脇にある鏡の池には石が置かれていますが、これが卒塔婆石(そとばいし)。見落としがちな石ですが、…
厳島八景(厳島明燈、大元桜花、滝宮水蛍、鏡池秋月、谷原麋鹿、御笠浜暮雪、有浦客船、弥山神鴉)にも数えられるのが厳島神社の鏡池。この鏡池は干潮時のみに東廻廊、客神社(まろうどじんじゃ)近くに現れる湧水の池。厳島八景の「鏡池…
国宝に指定される厳島神社(いつくしまじんじゃ)の御本社。奥から本殿、拝殿、祓殿という構造で、祓殿の先に大鳥居側に突き出すように平舞台が配されています。その平舞台の突端、海側左右に配されているのが門客神社(まろうどじんじゃ…
厳島神社の御本社の海側に突き出した、平舞台と高舞台。その東西の両脇に配されたのが楽房(がくぼう)。本殿側から見て右手が右楽房、左手が左楽房。高舞台で舞われる舞楽には2つの流れがあり、インドで発祥し唐から伝わった『蘭陵王』…
世界文化遺産に登録される厳島神社には、国宝や重要文化財の社殿が数多く、なかには見逃しがちな場所も。東廻廊、国宝の客神社(まろうどじんじゃ)を過ぎた所にあるのが朝座屋(あさざや)。神仏習合の江戸時代には社家(しゃけ=世襲し…
世界文化遺産に登録される厳島神社。国宝に指定される西廻廊へと渡る橋が反橋(そりばし)。名前の通りで太鼓橋で、往時は天皇からの使者(勅使)だけが許されたことから勅使橋とも呼ばれています。とても渡れるような形状ではないので、…
世界文化遺産登録の厳島神社参拝は、入口を入ると国宝・東廻廊ですが、すぐあるのが客神社(まろうどじんじゃ)。本殿、幣殿、拝殿、祓殿とあるのも御本社と同じなので、御本社と間違える人がいるほど。建物は鎌倉時代の仁治2年(124…
永禄4年(1561年)に大鳥居を再建した毛利元就(もうりもとなり)は、永禄11年(1568年)、観世太夫を招き、仮の能舞台を海中に設けて、能を奉納しています。現存する能舞台は江戸時代前期に広島藩主・浅野綱長が改築したもの…
プカプカと海に浮くという奇抜な構造の安芸の宮島・厳島神社。海(北西側)に向かって建つ御本社(本殿・拝殿・幣殿)の東西に配されているのが、周囲の社殿とともに国宝に指定される廻廊。東側廻廊は47間(ま=柱と柱の間の数で、1間…
宮島に鎮座する世界文化遺産に登録の厳島神社。その御本社・祓殿前にあるのが国宝の高舞台。その名の通り、周囲の平舞台から一段高くなった場所で、神様に奉納される舞楽が舞われる場所。黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらし、前後に…
厳島詣(いつくしまもうで)の中心、厳島神社・御本社(国宝の本殿・拝殿・祓殿)の前、シンボルの大鳥居を眺める海側に配されているのが平舞台で国宝。その名の通り、フラットな舞台で、寝殿造りでいえば庭にあたる部分で、広さは167…
宮島に鎮座する世界文化遺産に登録の厳島神社(いつくしまじんじゃ)。現存する本殿は、元亀2年(1571年)、毛利元就(もうりもとなり)が改築したもので、国宝。本殿に祀られるのは、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫…
三重県紀北町と尾鷲市を結ぶ国道42号は天狗倉山(馬越峠/まごせとうげ)をトンネルで通過していますが、馬越峠周辺には17世紀前半に紀州藩の行なった街道整備事業で敷かれたと推定される熊野古道伊勢路の石畳が残されています。これ…