五智国分寺
天平13年(741年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のために諸国ごとに建立された国分寺ですが、越後の国分寺の位置はいまだに解明されていません。越後国の国府は、頸城郡(くびきぐん)にあったとされ、現在の上越市国府地区にあっ…
天平13年(741年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のために諸国ごとに建立された国分寺ですが、越後の国分寺の位置はいまだに解明されていません。越後国の国府は、頸城郡(くびきぐん)にあったとされ、現在の上越市国府地区にあっ…
四国霊場第84番の札所が屋島寺(やしまじ)。天平勝宝6年(754年)、鑑真和上(がんじんわじょう)が朝廷に招かれ奈良に向かう途中(2月4日に平城京に到着)、屋島北嶺に創建し、後に空海が南嶺に移したと伝えられている古刹。鎌…
吉野山・奧千本の地主神、金峯神社から山道を15分ほど歩けば、西行庵。桜(当時は山桜)を愛した漂泊の歌人・西行は、「吉野山去年(こぞ)の枝折(しをり)の道かへて まだ見ぬかたの花を尋ねん」(『新古今集』春上86)など、吉野…
嵯峨野にあり、苔むした庭園と茅葺きの庵が『平家物語』を彷彿させる寺、祇王寺(ぎおうじ)。平清盛の寵愛が同じ白拍子(しらびょうし)の仏御前(ほとけごぜん)に移り、寵を失った祇王(ぎおう)が、母の刀自(とじ)と妹の祇女(ぎに…
西の比叡山に対し、東国の天台宗の拠点ということで東叡山と名付けられたのが上野の山の寛永寺。寛永2年(1625年)、慈眼大師・天海大僧正の創建で、その中心となる堂宇が元禄11年(1698年)建立の根本中堂です。往時には今の…
山口県防府市(ほうふし)松崎にある菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る古社が防府天満宮。社伝によれば、讒言(ざんげん)で失脚した菅原道真は、九州・大宰府(だざいふ)に左遷される途中、防府に立ち寄り、死後、魂となって帰って…
社伝(『相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起』)によれば、平安時代後期の長治元年(1104年)の創建と伝わる鎌倉の古社、荏柄天神社。学問の神様、菅原道真(すがわらのみちざね)を祭神にし、治承4年(1180年)、鎌倉大蔵に鎌倉幕府を…
延喜元年(901年)、藤原時平らの陰謀によって右大臣から大宰府(だざいふ)の権帥(ごんのそち)に左遷させられた菅原道真は、延喜3年(903年)年2月25日、大宰府の南館(現・榎社)で没しています。その墓所に建てられたのが…
大阪市北区天神橋に鎮座する学業成就、合格祈願で名高い神社が大阪天満宮。白雉元年(650年)、孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造営した際、都の西北(成玄)を守るため大将軍社を建立したのが始まり。天暦3年(949年)に村上天皇の勅…
仁和2年(886年)、聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が光孝天皇の勅命により上野山福祥寺(寺の正式名)を建立したのが始まりと伝えられる神戸、須磨の古刹が大本山須磨寺。嘉応元年(1169年)、源頼政が寺領を寄進し、聖観世音…
源平合戦(治承・寿永の乱)の古戦場として知られる須磨。一の谷から西一帯の海岸が一の谷の戦いの舞台とされ、「戦の濱」と通称されています。現在は鉄拐山、鉢伏山を含む103.8haという広大な須磨浦公園として整備されています。…
愛知県西尾市にある「西尾の抹茶」のルーツとなる寺。西条領主・吉良氏の菩提寺として3代・吉良満氏(きらみつうじ)が文永8年(1271年)に建立した寺。東福寺の聖一国師(円爾=えんに)を迎え開山式を行ない、宋(中国)・経山寺…
元和元年(1615年)に「寛永の三筆」の一人で陶芸家でもある本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が徳川家康から拝領した地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり。光悦はこの地に一族と移り住み、工匠を集めて「芸術の里」ともいえ…
現在の京都御苑・仙洞御所の東北部一帯は平安時代の摂政・太政大臣だった藤原道長(ふじわらのみちなが)の邸宅跡が土御門第跡(土御門殿跡)。道長が「この世をば我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることのなしと思へば」で知られる有名な「…
大山ケーブルの中間駅「大山寺駅」にある大山不動尊(雨降山大山寺)は、成田山新勝寺、高幡不動尊金剛寺と並んで関東三大不動のひとつに数えられる真言宗大覚寺派の大本山。天平勝宝7年(755年)開山の古刹で、神仏習合時代から真言…
建久9年(1199年)12月27日、源頼朝は、御家人・稲毛重成(いなげしげなり)が亡妻の供養のために相模川に架けた橋の落成供養の帰途、落馬したことが原因で没しています。頼朝は鎌倉の持仏堂(後の法華堂)に葬られましたが、明…
鎌倉幕府を開いた源頼朝が創建した由緒ある古社が鶴岡八幡宮。もとは康平6年(1063年)、相模守となった源頼義が、材木座に京の石清水八幡宮を勧進したのが始まり。その後、鎌倉に居を構えた頼朝が治承4年(1180年)10月12…
菅原道真(すがわらのみちざね)の祖父・菅原清公(すがわらのきよきみ)から3代にわたる邸宅、菅原院のあったとされる地で、菅原道真はこの邸宅で誕生したといわれ、境内に産湯の井戸も残されています。本殿南には「天満宮御遺愛の灯籠…