尖閣湾
佐渡の北西、外海府(そとかいふ)の達者(たつしや)から北狄(きたえびす)に至る約4kmの海岸線が尖閣湾(せんかくわん)。何万年にもわたって浸食された高さ30mにもおよぶ海食崖と岩礁、大小の岩と洞穴、紺碧の海とが織りなす自…
佐渡の北西、外海府(そとかいふ)の達者(たつしや)から北狄(きたえびす)に至る約4kmの海岸線が尖閣湾(せんかくわん)。何万年にもわたって浸食された高さ30mにもおよぶ海食崖と岩礁、大小の岩と洞穴、紺碧の海とが織りなす自…
慶長6年(1601年)、佐渡が上杉氏支配から幕府支配に変わり、佐渡金山の開山にともない、老中配下の遠国奉行の一つとして置かれた佐渡奉行。慶長8年(1603年)には、大久保長安によって佐渡奉行所が創建。往時の建物は何度かの…
佐渡島の中央部に広がる国中平野、佐渡市新穂(にいぼ)地区にあるトキの保護増殖事業を行なう佐渡トキ保護センターに隣接するのがトキの森公園。「トキ資料展示館」と「トキふれあいプラザ」を見学することで、トキの生態を学び、実際の…
「5月と7月に館山ではダイヤモンド富士を見ることができます。これをもっと観光の目玉にしたい」というのが金丸謙一館山市長以下、観光行政の考え。「実はパール富士も素晴らしいんだけど、これは撮影が難しいので」(金丸謙一市長)と…
二条城南にある神泉苑は、平安京選定と同時に計画され、平安京大内裏に接して築かれた禁苑(一般の人は入れない天皇家の庭)。現在では聖観音・不動明王・弘法大師を本尊とする東寺真言宗の寺になっています。かつての大内裏南に位置し、…
宇賀福神が、源頼朝の夢枕に立ち、佐助ヶ谷に湧く霊水で神を祀れば、天下太平に治まるというお告げを受けて建立された神社が銭洗弁天と通称される銭洗弁財天宇賀福神社。もとは国家鎮護のために造営されたわけなのですが、今では金運上昇…
鳴門公園(徳島県鳴門市)、大鳴門橋遊歩道「渦の道」入口近くにある展望台が千畳敷展望台。もうひとつのお茶園展望台が大鳴門橋を橋の東側から眺めるのに対し、こちらの千畳敷展望台は西側の側面を眺めることに。周辺には食事処や鳴門名…
大鳴門橋の徳島市側のたもと、鳴門公園にあるお茶園展望台。鳴門公園は南側から鳴門海峡を眺望する展望公園で、鳴門と淡路島を結ぶ全長1629mの吊り橋、大鳴門橋の眺めがバツグン。お茶園展望台は、阿淡藩主・蜂須賀候が、茶屋を設け…
鳴門公園にある大鳴門橋架橋記念館エディは、渦潮や大鳴門橋を楽しく解説する施設。平成30年3月にリニューアルされ、4K360°シアター”awa”や体験型デジタルアトラクション”Play …
大鳴門橋の徳島市側のたもと、鳴門公園にある大鳴門橋遊歩道・渦の道(うずのみち)は、大鳴門橋(おおなるときょう)の橋げたに作られた全長450mの海上遊歩道。海面からの高さは45mで、途中8ヶ所に設けられたガラス張りの床から…
渉成園(しょうせいえん)は真宗本廟(東本願寺)の飛地境内地であり、周囲にカラタチ(枳殻)が植えられていたことから枳殻(きこく)邸とも呼ばれる池泉回遊式庭園。寛永18年(1641年)、徳川家光から土地の寄進を受け、承応2年…
応永22年(1415年)、日隆聖人によって創建された法華宗本門流の本山が本能寺。天正10年6月2日(1582年6月21日)、明智光秀が主君である織田信長を裏切り、信長が自刃した「本能寺の変」で広く知られています。本能寺の…
明治4年、神仏分離が行なわれた際に熊本城内に創建された神社が加藤神社(当時は錦山神社と称していました)。熊本城内に陸軍の熊本鎮台が置かれるということで城外の新堀町(現在の在京町)に移転しましたが、昭和37年に再び城内の本…
豊臣秀吉が起こした朝鮮出兵(文禄・慶長の役/1592年〜1598年)により、それまで築き上げてきた、朝鮮半島との交流は途絶。佐賀県立名護屋城博物館はそうした過去の反省に立ち、日本列島と朝鮮半島との交流の歴史を紹介し、双方…
鴻臚館(こうろかん)は、奈良・平安時代、筑紫(北九州)にあった古代の外交窓口のひとつで、平安京、難波、筑紫の3ヶ所あったなかでは最大規模の施設。福岡市の福岡城跡の一角にある鴻臚館跡展示館の館内では、発掘状態のままに保存さ…
島根県内では出雲大社に次いで参拝者が多いのが津和野町の太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)。参道から社殿までの約250m、1000本もの赤い鳥居のトンネルが、まるで山を登るように連なって見えるので、最近ではフォトジ…
奈良市にある不退寺(ふたいじ)は、『大和國金龍山不退寺縁起』によれば、承和14年(847年)、平城天皇(へいぜいてんのう)が退位後暮らした「萱の御所」に、孫の在原業平(ありわらのなりひら)が自ら刻んだ仏像を安置し、「不退…
京都・大原野、大原野神社向いにある天台宗の古刹が十輪寺で、本尊は延命地蔵菩薩。六歌仙のひとり在原業平(ありわらのなりひら)が晩年に隠棲(いんせい)した地と伝わり、業平寺(なりひらでら)とも、文徳天皇の御妃・染殿皇后(そめ…