富山県三大名城とは!?
富山県下に数ある城郭の中で、唯一、日本100名城に選定されているのが前田利長が築いた高岡城。続日本100名城に選定されるのが富山藩の藩庁、富山城と、越中三大山城の筆頭といえる砺波市の増山城で、以上の3城が富山県三大名城と…
富山県下に数ある城郭の中で、唯一、日本100名城に選定されているのが前田利長が築いた高岡城。続日本100名城に選定されるのが富山藩の藩庁、富山城と、越中三大山城の筆頭といえる砺波市の増山城で、以上の3城が富山県三大名城と…
石川県下で日本100名城に選定されるのは、加賀百万石の藩庁だった金沢城、そして能登半島・七尾市の七尾城(日本五大山城のひとつ)。続日本100名城に数えられるのは、加賀一向一揆勢と織田軍との攻防の地にもなった白山市の鳥越城…
富山県砺波市ある中世の山城の跡が増山城(ますやまじょう)。砺波郡(となみぐん)・射水郡(いみずぐん)・婦負郡(ねいぐん)の3郡境にあった山城で、松倉城(魚津市)、守山城(高岡市)と並び越中三大山城のひとつ。国の史跡に指定…
愛知県新城市にある中世の城が古宮城(ふるみやじょう)。三河国の地誌『三河国二葉松』によれば、元亀2年(1571年)頃、武田信玄が武田四天王のひとり、馬場信春(ばばのぶはる)に命じて築いたとされ、三河侵攻の拠点のひとつ。あ…
山梨県甲府市にある中世の山城が要害山城(ようがいやまじょう)。武田氏館、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた=現在の武田神社)の詰城(つめのしろ)として要害山に築かれた城で、永正17年(1520年)、武田信玄の父、武田信虎(た…
北海道で日本100名城に選定されるのは、アイヌのチャシ(砦)群の根室半島チャシ跡群、幕末の西洋城郭の五稜郭、北海道で唯一の和式城郭の松前城の3城。これに中世の倭人が築いた城館の志苔館(しのりたて/函館市)、勝山館(かつや…
宮城県の城郭で日本100名城に選定されるのは奈良時代に築城された古代城跡で陸奥鎮守府の多賀城、近世(藩政時代)の仙台藩の藩庁、仙台城の2城です。さらに続日本100名城に選定される白石城の3城が宮城県三大名城といえる城。藩…
山形県内の城郭で日本100名城に選定されるのは、藩政時代に山形藩の藩庁だった山形城。続日本100名城は庄内藩・酒井家の居城、鶴ヶ岡城(鶴岡市)と直江兼続(なおえかねつぐ)築城で米沢藩の藩庁だった米沢城の2城。以上の3城が…
青森県では弘前藩の藩庁、弘前城、南北朝時代に南朝の拠点として築かれた根城が日本100名城に選定。さらに続日本100名城に、青森市の中世の城館、浪岡城が選定されているので、近世1、中世2の城が青森県三大名城ということに。
藩政時代の常陸国(現・茨城県)には、小さな藩が数多く割拠していましたが、名城として残るのは日本100名城の水戸城(水戸藩)、続日本100名城の笠間城(笠間藩)と土浦城(土浦藩)の3城。江戸時代の遺構が残るのは、茨城県内で…
茨城県笠間市の佐白山(205m)の山上にある藩政時代、笠間藩の藩庁だったのが笠間城(かさまじょう)。明治6年の廃城令で建物は破却され、石垣、堀などが残るのみですが、続日本100名城にも選定されています。鎌倉時代、笠間氏の…
神奈川県の名城といえば、北条五代の居城で総構えとして知られる小田原城が筆頭。日本100名城の小田原城と、続日本100名城に選定される小机城、石垣山城が神奈川県三大名城ということに。石垣山城は、豊臣秀吉が小田原攻めの際に一…
千葉県内の城で日本100名城に選定されるのが下総国の佐倉城のみ。そして続日本100名城に選ばれるのが下総国の本佐倉城、上総国の大多喜城です。この3城が千葉県三大名城となりますが、下総国の城は藩政時代には江戸防備の拠点とな…
神奈川県横浜市港北区小机町、東海道新幹線新横浜駅の西2kmほどのところにある中世の城跡(平山城)が、小机城(こづくえじょう)。鶴見川に臨む城跡は、第三京浜道路の建設の際に本郭の一部が破壊されるなど改変されていますが、小机…
埼玉県内には日本100名城に選定される、鉢形城(寄居町)、川越城(川越市)、続日本100名城に選定の忍城(おしじょう=映画『のぼうの城』舞台)、そして戦国時代の遺構が残り比企城館跡群として国の史跡に指定される杉山城、菅谷…
静岡県駿東郡小山町と神奈川県南足柄市の境、足柄古道(箱根越え以前の旧東海道)の足柄峠にある中世の城跡が足柄城(城があるのは小山町側)。築城年代は定かでなく、駿河(現・駿東郡)の土豪・大森氏が築き、その後、小田原城を本拠と…
北海道函館市志海苔町にある中世の城館跡が、志苔館(しのりたて)。渡島半島(おしまはんとう)に築かれた倭人の城館跡の道南十二館(どうなんじゅうにたて)のひとつ。道南十二館の東端に位置する城館で、国の史跡に指定されるほか、続…
埼玉県比企郡嵐山町にある鎌倉幕府の御家人・畠山重忠(はたけやましげただ)の居館跡が菅谷館(すがややかた)。平安時代に大里郡畠山荘の荘司だったのが畠山家で、その居館。国の史跡、そして続日本100名城にも選定され、菅谷館の一…