安慶名城

安慶名城

沖縄県うるま市安慶名、1453年、安慶名大川按司(あげなおおかわあじ)の改築城と伝承される城(グスク)で国の史跡となるのが、安慶名城(あげなぐすく)。城の北側を流れる天願川が別名大川と呼ばれることから、大川城(おおかわぐすく)とも称されています。

自然の断崖と急傾斜を巧みに利用した山城

按司(あじ)とは、琉球各地で領域支配を行なっていた豪族・首長で、大川一帯の首長が安慶名大川按司。
北山世主(北山王)子孫、今帰仁王子を祖とする伊波城主の伊波按司(いはあじ)の五男を安慶名城に配したと伝えられ、その際に1360年頃に築かれていた安慶名城を大改築。
15世紀(三山時代)〜16世紀、安慶名大川按司は、安慶名城を拠点に具志川(具志川城)や天願(天願城)、屋良(屋良城)、喜屋武(喜屋武城)に城を築き、息子たちを城主として沖縄本島中部一帯を三代にわたって支配しました。

居城となった安慶名城は、隆起サンゴを利用し、外側と内側に二重の石垣を巡らす琉球では珍しい輪郭式のグスク。
安慶名大川按司三世の代となる1511年、中山第二尚氏の尚真王は、各地の按司を首里に集め中央集権国家を造ろうと目論みましたが、安慶名大川按司はこれを拒絶。
1526年、派遣された中山軍(王府軍)は、難攻不落の安慶名城の弱点を突き、兵糧攻め・水攻めにより落城しています。
水不足という弱点を隠すため、安慶名大川按司は、米を馬に浴びせ、遠くから見ると水浴びをさせているように見せかけましたが、弱点は水の確保であることを見抜かれ、長期戦に持ち込まれて、ついに落城したのです。

琉球石灰岩を野面積み(のづらづみ)で積み上げた城壁、幅1mの城門が現存。
安慶名城一帯は安慶名中央公園として整備され、城郭の東側には安慶名闘牛場も設置されています。
安慶名闘牛場は、沖縄県闘牛組合連合会が主催する全島闘牛大会会場にも使用されていましたが、平成19年5月に「うるま市石川多目的ドーム」が完成し、現在は年1〜2回の開催に減少しています。
城郭内は一部未整備の場所もあるので足下に注意を。

うるま市内には、安慶名城のほかに、勝連城、伊波城(伊波貝塚)、伊計島のイチの里仲原遺跡と国の史跡が4ヶ所あり、史跡巡りにも絶好です。

安慶名城
名称 安慶名城/あげなぐすく
所在地 沖縄県うるま市安慶名
関連HP うるま市観光物産協会公式ホームページ
ドライブで 沖縄自動車道沖縄北ICから約4km
駐車場 安慶名中央公園駐車場(無料)を利用、大きな大会の時は主催者に確認を
問い合わせ うるま市教育部文化財課 TEL:098-923-7182/FAX:098-923-7674
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
勝連城

勝連城

沖縄本島うるま市、勝連半島のつけ根に近い南風原(はえばる)に建ち、平成12年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に指定されたグスク(城)のひとつが勝連城(かつれんぐすく)。12〜13世紀頃、勝連按司(かつれんあじ)によっ

伊波城(伊波貝塚)

伊波城(伊波貝塚)

沖縄県うるま市石川、石川市街、石川港を見下ろす標高87.2mの丘に位置する単郭式の城(グスク)が伊波城(いはぐすく)。城郭内からは、中国産の青磁や白磁、三彩陶器・褐釉陶器・染付・南島産の須恵器などが出土し、伊波按司の交易の広さがうかがい知れ

 

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