篠山城
篠山盆地(兵庫県丹波篠山市)の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城が、篠山城(ささやまじょう)。徳川家康が築城の名人・藤堂高虎(とうどうたかとら)ら5人を普請奉行に任じ、池田輝政、福島正則、毛利秀就、山内忠義ら西…
篠山盆地(兵庫県丹波篠山市)の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城が、篠山城(ささやまじょう)。徳川家康が築城の名人・藤堂高虎(とうどうたかとら)ら5人を普請奉行に任じ、池田輝政、福島正則、毛利秀就、山内忠義ら西…
7世紀後半、百済(くだら)の16代・辰斯王(4世紀末)の王子で日本に帰化した辰孫王の子孫、葛井連広成(ふじいのむらじひろなり=白猪史広成・しらいのふひとひろなり) が当時の天皇の仏教興降政策に協力して創建と伝えられる古刹…
大阪府千早赤阪村にある楠木正成が築いた難攻不落の中世の山城跡が千早城。大和国と河内国を結ぶ千早街道を抑える交通の要衝に位置しています。楠木正成は、鎌倉幕府軍との合戦の地、赤坂城の詰めの城として千早城を築き、下赤坂城、上赤…
松江城の天守は、全国に現存する12天守のひとつで、国内に5つしかない国宝天守のひとつ。慶長16年(1611年)、堀尾吉晴が5年の歳月をかけて完成したもの。12天守のうち、天守閣の大きさ(平面規模)では2番目、高さ(約30…
美濃・岩村城(岐阜県恵那市岩村町)、備中松山城(岡山県高梁市)とともに「日本三大山城」に数えられる名城が奈良県高市郡高取町にある高取城。南北朝時代、元弘2年・正慶元年(1332年)、南朝方の越智邦澄(おちくにずみ)によっ…
岡山県高梁市、高梁川を眼下にする4つの峰からなる臥牛山(487m)の山上に建つ山城。岩村城(岐阜県恵那市岩村町)、高取城(奈良県高取町)と並び日本三大山城に数えられています。往時の天守が残る現存12天守のうちでも唯一の山…
宇和島城は、愛媛県宇和島市街の中心部、標高80mの丘陵地にある平山城。丸串城と呼ばれた中世の砦がありましたが、板島(現在の宇和島)に入城した築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が大改修を行ない、慶長6年(1601年)…
慶長9年(1604年)、築城・縄張の名人、伊予半国20万3000石の大守・藤堂高虎(とうどうたかとら)により完成したのが今治城(いまばりじょう)。海上の要衝・来島海峡(くるしまかいきょう)に面した今治港の南、三重の濠に海…
横浜・山手の高台にあるベーリック・ホールは、イギリス人貿易商バートラム・ロバート・ベリックの邸宅として、昭和5年に竣工した洋館。山手外国人住宅では最大規模の建物で、設計は山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場などを手掛け…
安政6年6月2日(1859年7月1日)の開港後、横浜に居留した外国人の墓地として、横浜の発展に尽くした外国人たちが眠る墓地が横浜外国人墓地。もとはペリー提督の艦隊の中の一隻である「ミシシッピー号」の墜死した水兵を葬ったの…
天正16年(1588年)、築城の名手・黒田孝高(くろだよしたか=黒田如水・黒田官兵衛)によって築かれ、細川忠興が完成させた平城。中津川(山国川)と大家川に挟まれた、河口の中洲に位置し、北は周防灘に面していることから、堀に…
横浜・山手地区でもっとも海岸寄りの高台に位置する公園が港の見える丘公園。名前の通りベイブリッジなど横浜港の眺めがよく、夜景の美しいデートスポットとして知られていますが、実は開港の歴史を秘めるエリアにもなっています。公園を…
第2次世界大戦末期、本土決戦に備えて、大本営(だいほんえい)や政府中核を長野県の松代(まつしろ=現・長野市松代町)に移すという計画のもとに掘られた大地下壕が、松代象山地下壕(まつしろぞうざんちかごう)。秘密裏に工事が開始…
慶長3年(1598年)、豊臣秀吉の家臣・日根野高吉(ひねのたかよし)が築城した諏訪藩(高島藩)藩庁が高島城。諏訪湖を巧みに生かし、難攻不落を誇った水城で、「諏訪の浮城」と呼ばれました。日本三大湖城の一つに数えられましたが…
ひたちなか市にある7世紀前半に築造された全長56.5mの前方後円墳が虎塚古墳(とらづかこふん)。昭和48年に明治大学・大塚初重(おおつかはつしげ)教授による発掘調査が行なわれ、横穴式石室内部に赤色のベンガラ(第二酸化鉄)…
常陸国(ひたちのくに=茨城県)では水戸藩に次いで大きな領地を有した土浦藩の藩庁が置かれたのが、土浦城。土浦市街にある土浦城跡の本丸と二の丸南側部分は亀城公園(きじょうこうえん)として整備されています。茨城県で唯一、江戸時…
名古屋市の熱田神宮公園内にある断夫山古墳(だんぷさんこふん)は、墳丘長151m、前方部の幅116mで愛知県最大の前方後円墳。6世紀初頭の築造で、尾張連草香(おわりのむらじくさか)の墓と推測されています。この墳墓を日本武尊…
北条氏最後の執権・北条高時(ほうじょう たかとき)が葛西ケ谷の東勝寺で自害した後、北条一族の霊を弔うため、建武2年(1335年)、鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏(発願は後醍醐天皇)によって建立されたのが宝戒寺(ほうかいじ)。…