菜畑遺跡
唐津市の西南部にある縄文時代の遺跡で、日本最古の水稲耕作の跡が発見される貴重な遺跡です。周辺には宇木汲田遺跡、桜馬場遺跡などもあり、古くから拓けた地であるため、『魏志倭人伝』で、最初に本土に上陸する末盧国(まつろこく/ま…
唐津市の西南部にある縄文時代の遺跡で、日本最古の水稲耕作の跡が発見される貴重な遺跡です。周辺には宇木汲田遺跡、桜馬場遺跡などもあり、古くから拓けた地であるため、『魏志倭人伝』で、最初に本土に上陸する末盧国(まつろこく/ま…
日本の稲作は縄文時代晩期に九州北部から広まったというのが定説ですが、唐津市街の南西部から発掘された菜畑遺跡(なばたけいせき)は日本の稲作発祥の地。菜畑遺跡のビジターセンターである末廬館は、遺跡から発掘された炭化した米、稲…
聖武天皇が741(天平13)年に出した国分寺建立の詔で全国に建立された国分僧寺のひとつ、肥前国分寺の跡。金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)が往時の正式名です。2町四方(1辺が約216m)のなかに…
佐賀城に残る鯱の門は、1835(天保6)年から始まる本丸再建に際し、本丸の門として1838(天保9)年に完成したもので続櫓とともに国の重要文化財に指定されています。佐賀城に残る貴重な遺構で、明治7年の佐賀の役の際の弾痕が…
佐賀市にある佐賀城跡は、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城の跡。もとは戦国大名・龍造寺氏の居城だった村中城を、家臣でのちに佐賀藩主となる鍋島直茂、勝茂が拡張したもの。慶長年間に着手、1611(慶長16)年に完成しています。以来…
発掘調査、佐賀城御本丸差図、文献資料・古写真などを基にして正確な位置に木造で復元した佐賀城の本丸御殿の一部が佐賀県立の佐賀城本丸歴史館。木造復元建物としては日本最大級の2500平方メートルを誇っています。御座の間だけは、…
佐賀大和IC一帯の佐賀市大和町は、奈良・平安時代の肥前国の国府として栄えた地。肥前国庁跡歴史公園は、奈良〜平安時代の古代肥前国の政治の中心となった政庁の跡です。大型の礎石建物が発見され、国の史跡に。さらに一帯は歴史公園と…
長崎街道は長崎と小倉を25次の宿場で結んだ街道で全長は57里(約220km)。鍋島藩の城下町だった佐賀市にもこの街道が通っていますが、八戸町から長瀬町にかけては道沿いにある家の壁が一列ではなく、一軒おきに道路にくいこんで…
建築は18世紀前半(江戸中期頃)と推測され、佐賀城下に残る最古の町家建築が、佐賀市歴史民俗館・旧牛島家。もともとは佐賀城下の下今宿町(現・佐賀市朝日町3番4号)にあった町家建築で、1854(嘉永7)年の『佐嘉城下町竃帳』…
佐賀市歴史民俗館は7棟の歴史的建造物の総称。その中心が旧古賀銀行です。明治18年、両替商をしていた古賀善平が設立した銀行で、佐賀県下の炭坑の好況を受け第七二国立銀行を譲り受けて業務を拡大、大正時代には県下最大の銀行となり…
唐津城は、初代唐津藩主の寺沢広高(てらざわひろたか)が、1602(慶長7)年から7年の歳月をかけて築城。豊臣秀吉の文禄・慶長の役に際し築かれ、すでに廃城となっていた名護屋城の遺材を使用したとも伝えられます。松浦川が唐津湾…
唐津炭田と鉄道の普及(明治31年唐津興業鉄道開業)は唐津に大発展をもたらしました。明治45年築の旧唐津銀行本店は、建築家・辰野金吾に師事した清水組・田中実が設計施工した洋風建築。辰野金吾は唐津出身で、明治の建築界の巨匠と…
行田市の埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)にある全長73mの前方後円墳が瓦塚古墳。ビジターセンターとなっている「さきたま史跡の博物館」にもっとも近い古墳が、この瓦塚古墳です。埼玉古墳群の特徴である、長方形で二重の周濠(しゅ…
行田市の埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)にある全長66mの前方後円墳で、同じ渡柳地区にある戸場口山古墳(とばくちやまこふん/現存せず)、中の山古墳のなかで奥まった最北にあるのが名の由来です。周囲に台形の二重周濠を有してお…
行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)にある古墳の一基で、古墳群でもっとも南に位置しているのが中の山古墳。西側に奥の山古墳(前方後円墳)が並び、東に方墳(ほうふん=四角形の古墳)であるの戸場口山古墳(とばぐちやまこ…
行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の一基で、全長109mの前方後円墳が鉄砲山古墳。埼玉古墳群のなかでは二子山古墳(135m)、稲荷山古墳(推定120m)に次いで3番目の大きさを誇る前方後円墳。墳丘周囲の調査の際…
行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)で最初に築造されたと推測される古墳が稲荷山古墳。5世紀後半に造られた全長120mの前方後円墳で、古墳の上に小さな稲荷社があったのがその名の由来。前方部は昭和12年の沼地の干拓工…
埼玉県行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の中央、稲荷山古墳の南に位置する前方後円墳が二子山古墳。前方部と後円部という2つの山が連結したような形状が名の由来で、墳丘長132.2mは、古代の武蔵国(むさしのくに)で…