志段味大塚古墳
愛知県名古屋市守山区にある志段味古墳群(しだみこふんぐん)のひとつで、国の史跡に指定される帆立貝形古墳が志段味大塚古墳(しだみおおつかこふん)。墳丘長51mで、志段味古墳群の中で最大規模の古墳。現在、名古屋市が「歴史の里…
愛知県名古屋市守山区にある志段味古墳群(しだみこふんぐん)のひとつで、国の史跡に指定される帆立貝形古墳が志段味大塚古墳(しだみおおつかこふん)。墳丘長51mで、志段味古墳群の中で最大規模の古墳。現在、名古屋市が「歴史の里…
愛知県名古屋市西区中小田井(なかおたい)、庄内川の右岸に接する中小田井の町並みは、岩倉街道沿いに位置し、町家や土蔵が並んでいます。岩倉やその周辺から枇杷島(びわじま)の青果市場へ野菜類を運ぶ道として賑わった家並みで、2….
愛知県名古屋市守山区にある志段味古墳群(しだみこふんぐん)を形成する前方後円墳が白鳥塚古墳(しらとりづかこふん)。墳丘長は、115mで、断夫山古墳(だんぷさんこふん/151m・名古屋市)、青塚古墳(123m・犬山市、青塚…
愛知県名古屋市南区楠町にある『万葉集』に詠まれた年魚市潟(あゆちがた)を見下ろす高台にある小さな神社が村上社。境内にある幹回り10.8m、樹高20mにおよぶ楠木の大木は樹齢1000年以上、鎌倉時代には街道の道標にもなって…
前田速念寺は、庄内川沿いの尾張国海東郡前田村(現・愛知県名古屋市中川区前田西町)にある寺で前田城址。2代当主の前田長定は織田信長に仕え、速念寺の寺伝では前田利家はこの地で誕生している。通説では荒子城が生誕地ですが、利家の…
愛知県名古屋市中区栄にある大宝年間(701年~704年)に創建と伝わる古社、若宮八幡社。八幡宮ではなく若宮八幡というのは、八幡宮の祭神である応神天皇の息子・仁徳天皇を祀る神社ということ。往時には現在の名古屋城三の丸(那古…
愛知県常滑市金山にある中世の城の跡が大野城。昭和54年に模擬天守が造られ、一帯は城山公園として整備されています。戦国時代、大野城主で織田信長配下の佐治一成(さじかずなり)は、浅井三姉妹のお江(後の徳川秀忠・正室、崇源院/…
名古屋市南区見晴町の笠寺公園(見晴台遺跡)にあるミュージアムが名古屋市見晴台考古資料館。『万葉集』でも詠まれている年魚市潟(あゆちがた)を見下ろす笠寺の高台にあり、笠寺公園と整備される高台は、旧石器時代から室町時代にかけ…
愛知県名古屋市南区呼続町八幡西にある八幡社が桜田八幡社。名鉄本笠寺駅を起点とする名古屋市の史跡散策路『桜田勝景と古墳めぐり』コースの途中にある神社で、境内には『万葉集』にも詠まれた「年魚市潟」(あゆちがた)の景観を歌った…
愛知県豊田市足助町(あすけちょう)は、三河で産する塩を信州に運んだ、塩の道・中馬街道の宿場町として栄えた地。また、美濃とも結ばれ、交易の拠点として繁栄したのです。江戸時代以来の重厚な町家を多く残し、その町並みは、豊田市足…
愛知県名古屋市緑区、大高緑地公園の東側にある桶狭間(おけはざま)・高根山(有松神社)は、住宅地の一角になっていますが、標高54.5mと一帯の最高地点。桶狭間の合戦の際に今川軍の先鋒として、遠江二俣城主・松井宗信(今川義元…
愛知県小牧市にある標高54.6mの丘が岩崎山。小牧・長久手の戦いの際に、羽柴秀吉軍が砦を築き、美濃国の稲葉一鉄と貞通親子が4000の兵を率いて布陣した岩崎山砦跡。頂からは徳川軍が布陣した小牧山を一望に。岩崎熊野神社が鎮座…
愛知県刈谷市にある刈谷城本丸跡、そしてと二の丸の一部を利用した城跡公園が亀城公園(きじょうこうえん)。刈谷城は天文2年(1533年)、水野忠政(みずのただまさ=徳川家康の生母・於大の方の父)の築城。刈谷城のなかでももっと…
愛知県豊川市白鳥町に鎮座する古社が、三河国総社(三河総社)。隣接して三河国の国府の遺構が発掘される白鳥遺跡(曹源寺周辺)があり、律令制の始まった時代の三河国の中心にあたります。国司が国内に鎮座する神社を巡拝する慣習を簡略…
愛知県豊川市八幡町(やわたちょう)本郷にある天平13年(741年)、聖武天皇の詔で全国に建立した国分僧寺(金光明四天王護国之寺)の遺構が三河国分寺跡。600尺(180m)四方の敷地から金堂跡、講堂跡、塔跡などが発掘されて…
愛知県豊川市白鳥町にある曹洞宗の寺、曹源寺。合併して豊川市になっていますが、一帯はかつての国府町(こうちょう)で、三河国の国府が存在していた三河国府跡。しかも三河総社(白鳥総社)の東側にある曹源寺の境内が国庁の正殿があっ…
広島県呉市上長迫町にある、明治23年に戦没などによる海軍軍人などの埋葬地として開設された帝国海軍の海軍墓地が旧呉海軍墓地(長迫公園)。富国強兵政策で、明治22年に呉に置かれたのが海軍の鎮守府で、その創立に伴って、墓地も整…
広島県呉市安浦町の安浦漁港(三津口)沖にある防波堤が、コンクリート船「武智丸」(沈船防波堤)。第二次世界大戦の最中、帝国海軍所属の貨物船として建造された2隻のコンクリート船、「第一武智丸」、「第二武智丸」を終戦後に防波堤…