厳島神社・客神社
世界文化遺産登録の厳島神社参拝は、入口を入ると国宝・東廻廊ですが、すぐあるのが客神社(まろうどじんじゃ)。本殿、幣殿、拝殿、祓殿とあるのも御本社と同じなので、御本社と間違える人がいるほど。建物は鎌倉時代の仁治2年(124…
世界文化遺産登録の厳島神社参拝は、入口を入ると国宝・東廻廊ですが、すぐあるのが客神社(まろうどじんじゃ)。本殿、幣殿、拝殿、祓殿とあるのも御本社と同じなので、御本社と間違える人がいるほど。建物は鎌倉時代の仁治2年(124…
プカプカと海に浮くという奇抜な構造の安芸の宮島・厳島神社。海(北西側)に向かって建つ御本社(本殿・拝殿・幣殿)の東西に配されているのが、周囲の社殿とともに国宝に指定される廻廊。東側廻廊は47間(ま=柱と柱の間の数で、1間…
厳島詣(いつくしまもうで)の中心、厳島神社・御本社(国宝の本殿・拝殿・祓殿)の前、シンボルの大鳥居を眺める海側に配されているのが平舞台で国宝。その名の通り、フラットな舞台で、寝殿造りでいえば庭にあたる部分で、広さは167…
宮島に鎮座する世界文化遺産に登録の厳島神社(いつくしまじんじゃ)。現存する本殿は、元亀2年(1571年)、毛利元就(もうりもとなり)が改築したもので、国宝。本殿に祀られるのは、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫…
呉市川尻町に建つ承平7年(937年)創建と伝わる古刹が宝積寺(ほうしゃくじ)。本尊の十一面観世音菩薩は行基作との伝承があり、16年に一度しか公開されない秘仏。本尊の霊験を知った平清盛は、宝積寺に参籠し、三日三晩に渡って平…
天正15年(1587年)、豊臣秀吉により戦歿将兵の慰霊のために建立された857畳の大経堂が、宮島の千畳閣。神仏分離で、明治5年に大経堂を千畳閣と改称し、本尊・釈迦如来座像などの仏像を大願寺に移し、豊国神社(とよくにじんじ…
空海が宮島を見て仏教の世界観で聖なる山を意味する「須弥山」(しゅみせん)の如しということから、弥山(みせん)と名付けられたという霊山、弥山。その空海が山上で100日間の求聞持(ぐもんじ)の修法を行なった場所が弥山本堂です…
宇佐神宮、石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮のひとつに数えられる福岡市に鎮座する古社が筥崎宮(はこざきぐう)。平安時代初期の延喜21年(921年)、醍醐天皇が神託により大陸・玄海灘に面した地に、国家鎮護のため壮麗な社殿を…
安永4年(1775年)創業の老舗の餅屋がへんばや商店。伊勢神宮に向かう参拝者が、宮川を渡るために馬を返して舟に乗ったという(宮川から先が伊勢神宮の神域)。この宮川のほとりで舟待ちの旅人相手に売られていた平たい焼き餅に、馬…
俳聖殿(はいせいでん)は、昭和17年に松尾芭蕉生誕300年を記念し、現・伊賀上野城天守の建築に奔走した川崎克(かわさきかつ)が私費を投じて三重県伊賀市に建てられた施設。伊賀上野出身の俳聖・松尾芭蕉を顕彰するために建てられ…
天王寺公園の北端にある小さな山が茶臼山。大阪市内で最大級の前方後円墳との説もありますが、延暦7年(788年)に和気清麻呂が上町台地を掘削したときの残土を盛った丘ともいわれています。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で徳…
大阪市では住吉公園(明治6年開園)に次ぐ歴史を誇る明治42年に開園した公園が天王寺公園。昭和62年に開かれた『天王寺博覧会』を契機に平成2年に、水と緑をふんだんに取り入れた都市公園へとリニューアルされました。公園北端の茶…
文治元年(1185年)、四天王寺の別当・慈円に請われて法然が結んだ草庵が始まりという大阪市天王寺区の古刹が一心寺。慶長元年(1596年)、三河出身で徳川家康に見出され佐倉・清光寺に住持したという僧侶・本誉存牟(ほんよぞん…
建武元年(1334年)、楠正成(くすのきまさしげ)が和田高家(にぎたたかいえ=楠木正季の三男、楠木正成の甥)に命じ、岸と呼ばれていた地に城を築いたのが岸和田城の始まり。和田氏はこの地を根拠地としたことから「岸の和田氏」と…
大阪府池田市城山町にある中世の城跡を公園化したのが池田城跡公園。室町時代から戦国時代にかけて旧豊島郡(現池田、豊中、箕面市周辺)を支配していた池田城主・池田氏の居城跡を整備して歴史公園としたもの。池田市で唯一の池泉回遊式…
近江国(滋賀県)大津と平安京を結ぶ峠越えの道が逢坂越(おうさかごえ)。都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝で、多くの文人が歌にも残しています。平安京防御の拠点ともなった峠越えの道…
滋賀県長浜市にある曹洞宗の寺、徳勝寺。前身は応永年間(1394年~1438年)東浅井郡上山田村(現・長浜市小谷上山田町)に建立の医王寺です。小谷城内に移り、浅井氏の菩提寺となり、浅井氏の滅亡で長浜城内に移り、江戸時代に長…
長浜市街の中心地、御旅所の交差点近くにあったのが羽柴秀吉が縄張りした長浜城の大手門。長浜城大手門跡(追手門跡)から東へのびる通りが大手通で往時の長浜城下の中心地だった場所です。南の本町とともに城下町のメインストリートでし…