紫式部公園

紫式部公園

『源氏物語』の作者・紫式部(むらさきしきぶ)の父・藤原為時(ふじわらのためとき)は、長徳2年(996年)、越前守(越前国守)として越前に赴任(越前国庁は現在の越前市にあったと推測されますが定かでありません)。その際、娘の紫式部も帯同し、滞在したと推測される越前市武生地区に築かれているのが寝殿造庭園の美しい紫式部公園です。

紫式部の暮らしを偲ぶ珍しい寝殿造りの庭園

紫式部公園
紫式部公園

北陸の緑や雪に映えるように金箔で仕上げられた紫式部像(文化勲章受章者の圓鍔勝三が制作)がひときわ目立っています。

平安時代を彷佛させる寝殿造庭園には紫式部像や夜の月が水面に映ることを配慮して形を決めた池、舟の乗り降り場でもあった総檜造りの釣殿など、平安絵巻を見ているような光景が展開。
無料休憩所「藤波亭」では国宝『源氏物語絵巻』のレプリカ、越前和紙でつくられた「紫式部人形」など紫式部に関連する資料も展示されるほか、越前打刃物や越前和紙などの土産も販売。
また事前の予約で十二単着付け体験なども可能です。

紫式部公園
紫式部公園

紫式部は越前で2年ほど暮らしています

紫式部公園

長徳2年(996年)、紫式部は父・藤原為時に伴って越前国に入国しますが、これが人生で京を離れて暮らした唯一の経験。
長徳3年(997年)秋から長徳4年(998年)の春頃、京に戻っています。

紫式部が暮らした屋敷のあった場所は定かでありませんが、父・藤原為時が国司として任官した国庁は、越前市武生にあったと推測されています。
国府という地名も残されているが、残念ながら遺構はまだ発見されていません。

紫式部は、京を出て逢坂(おうさか=現在の大津市)を越え、琵琶湖の湖西を通る北陸道(西近江路)、さらに塩津海道から深坂越え(滋賀福井県境、標高370mの深坂峠を越える古道)で越前国に入っています。

紫式部公園
名称 紫式部公園/むらさきしきぶこうえん
所在地 福井県越前市東千福町20-369
関連HP 越前市公式ホームページ
電車・バスで 福井鉄道武生新駅から福井鉄道バス坂口白山行きで10分、紫式部公園下車、すぐ
ドライブで 北陸自動車道武生ICから約7km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 武生森林組合 TEL:0778-23-0686
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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