木舟城
高岡市福岡町木舟にあり、元暦元年(1184年)、越中国の豪族・石黒光弘が築城した中世の城。石黒光弘は、1183(寿永2)年、木曾義仲(源義仲)軍と平維盛軍が激戦を繰り広げた倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで木曾義仲に従…
高岡市福岡町木舟にあり、元暦元年(1184年)、越中国の豪族・石黒光弘が築城した中世の城。石黒光弘は、1183(寿永2)年、木曾義仲(源義仲)軍と平維盛軍が激戦を繰り広げた倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで木曾義仲に従…
大日如来を本尊とする真言宗の古刹で正式名は金剛山仁王院法華坊鑁阿寺(こんごうさん におういん ほっけぼうばんなじ)。室町幕府を開いた足利尊氏で一躍有名になった足利一族の発祥の地で「足利氏館」として「日本100名城」にも選…
埼玉県大里郡寄居町にある中世の城跡。荒川と深沢川の合流地点の断崖上という天然の要害を活かし、1476(文明8)年、関東管領山内上杉氏(やまのうちうえすぎし)の家臣・長尾景春が築城。武田信玄、上杉謙信との攻防もあった城は、…
北条早雲をはじめとする後北条氏が、5代96年におよぶ栄華を極めた小田原城。後北条氏は、居館を現在の天守の周辺に置き、小田原高校の建つ八幡山に詰めの城を配しました。豊臣秀吉の小田原攻めに対抗するために周囲9kmにも及ぶ土塁…
太田市のシンボルである金山(標高235.8m)に築かれた戦国時代の城が、金山城(かなやまじょう)。97.8haが国の史跡となる大規模な山城で、日本100名城に選定。本丸跡とされている山上に新田神社が鎮座しています。中世の…
榛名山東南麓に築かれた中世の平山城が、箕輪城(みのわじょう)。東西500m、南北1100m、総面積36haという広大な城で、「日本100名城」にも選定。相模・小田原城が本拠の北条氏康、甲斐・府中(甲府)の武田信玄、越後の…
織田信長は、清洲城から小牧山城に居城を移し美濃攻略を狙います。そして美濃の稲葉山城を攻め落とすと、岐阜と名を改め、城と城下町を築きます。稲葉山(金華山)の山麓に庭園などを配した居館を設け、ここを「天下布武」の出発点とした…
標高721mの城山の山頂に築かれ、高低差180mの地形を活かした堅固な山城が岐阜県恵那市岩村町にある岩村城。大和・高取城、備中・松山城と並び、「日本三大山城」のひとつに数えられています。地形的な要因で霧が立ちこめやすいこ…
永禄年間(1558年〜1570年)に相模国の戦国大名・北条氏康(ほうじょううじやす)が築城した小田原城の支城(国境警備の城)で、箱根十城のひとつ。東海道の三島神社から箱根へと上る途中に位置する中世の山城跡で、箱根山外輪山…
岐阜(ぎふ)の市街を見下ろす金華山(329m)の山頂に建つ山城。かつては斎藤道三の居城・稲葉山城でしたが、1567(永禄10)年、織田信長は小牧山城(愛知県小牧市)から本拠を移し、新たに山城を築城して岐阜城と改名しました…
西尾城の一部を復元した歴史公園。西尾城の前身は、承久の乱(1221年)の戦功によって三河国守護となった足利義氏(あしかがよしうじ)が築城した西条城。足利氏は吉良氏(きらし)と改め、吉良荘を統治。江戸時代に家康の命で酒井重…
松平4代の松平親忠(安祥城主)が、1488(長享2)年年頃に創建した松平徳川家の総氏神が伊賀八幡宮。徳川家康が社殿を造営。その後、3代将軍・徳川家光が社殿を拡張し東照宮(家康)を祭神に加えています。徳川家康の立身出世にあ…
1560(永禄3)年5月19日、小勢の織田信長が今川義元の大軍を破った古戦場で国の史跡。桶狭間(おけはざま)は、東海道では池鯉鮒(知立)宿と有松宿の間に位置しますが、両軍とも東海道を通ってはいません。桶狭間古戦場の正確な…
長篠城は、豊川(寒狭川)と宇連川(三輪川)の合流地点に位置し、ふたつの川を堀に見立てた天然の要害。「長篠城址史跡保存館」は、国指定史跡の長篠城本丸跡脇に建つ城を模した博物館で、戦国時代の武具や出土品を収蔵展示しています。
長篠城(ながしのじょう)は、今川氏親の家臣、菅沼元成が1508(永正5)年に築いた城。1575(天正3)年の長篠の戦いで、時の城主・奥平貞昌(おくだいらさだまさ=奥平信昌)がわずか500の兵で籠城し、1万5000という大…
松平4代の松平親忠(安祥城主)が、1475(文明7)年に創建した寺で、松平家(のちの徳川将軍家)の菩提寺。桶狭間(おけはざま)の合戦で今川義元が敗れたとき、大高城から松平元康(徳川家康)が逃げ帰ったのがこの大樹寺です。先…
愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった岡崎城・本丸跡に建つのが、三河武士のやかた家康館。徳川300年を築いた徳川家康の人間像と、その歴史を家康とともに歩んだ三河武士を紹介する博物館。岡崎城の本丸跡、復興天守に寄り添うように…
岡崎城(愛知県岡崎市)は、徳川家康が出生した城として有名。天守は明治時代に取り壊され、現在の天守は、昭和34年の再建で、1617年(元和3)に本多忠利が再建したものをモデルとしたもの。2〜4階は、江戸時代の岡崎を紹介する…