高幡不動尊金剛寺
真言宗智山派別格本山、成田山新勝寺、雨降山大山寺(大山不動尊)と並び関東三大不動のひとつで、正式名は高幡山明王院金剛寺。一説には、奈良時代、僧・行基による開基とも伝わりますが、寺伝では清和天皇の勅願により平安時代初期、円…
真言宗智山派別格本山、成田山新勝寺、雨降山大山寺(大山不動尊)と並び関東三大不動のひとつで、正式名は高幡山明王院金剛寺。一説には、奈良時代、僧・行基による開基とも伝わりますが、寺伝では清和天皇の勅願により平安時代初期、円…
標高200mの武山の山頂の一角にある武山不動。浄土宗の寺で、正式名称は龍塚山(りゅうちょうざん)不動院持経寺。江戸時代には浦賀水道を通る船の目印にもなり、地元の漁師はこの山がどこに見えるかで漁場の位置を確認したことから「…
兵庫県宝塚市にある清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)は、寛平8年(896年)、宇多天皇の勅願によって建てられたとされる真言三宝宗の大本山。開山当初は現在の北東の山腹にありましたが、数々の兵乱で焼け落ち、現在地に再…
建久9年(1199年)12月27日、源頼朝は、御家人・稲毛重成(いなげしげなり)が亡妻の供養のために相模川に架けた橋の落成供養の帰途、落馬したことが原因で没しています。頼朝は鎌倉の持仏堂(後の法華堂)に葬られましたが、明…
四谷寺町にある身延山久遠寺の末寺が日蓮宗の寺、妙典山戒行寺。文禄4年(1595年)に麹町に建立し、寛永11年(1634年)に江戸城外堀工事のため四谷に移転しました。旗本直参の宮重作兵衛の尽力で移転し、妙典山という山号は、…
鎌倉幕府3代将軍・源実朝は、建保7年(1219年)1月27日、右大臣任官の祝賀が行なわれた鶴岡八幡宮参拝の帰り道、境内で甥(おい)の公暁に暗殺されてしまいます。神奈川県秦野市(はだのし)にある金剛寺は、鶴岡八幡宮境内で暗…
鎌倉幕府を開いた源頼朝が創建した由緒ある古社が鶴岡八幡宮。もとは康平6年(1063年)、相模守となった源頼義が、材木座に京の石清水八幡宮を勧進したのが始まり。その後、鎌倉に居を構えた頼朝が治承4年(1180年)10月12…
源頼朝が没した翌年の正治2年(1200年)、北条政子の発願で伽藍を建立、栄西が開山した名刹、寿福寺。鎌倉五山第三位で臨済宗建長寺派の寺。寺が建つ場所は頼朝の父、源義朝(みなもとのよしとも)の居館があった場所。頼朝が鎌倉入…
錦市場の東端で、新京極通との交差点にあたるのが、錦天満宮。社伝では、長保5年(1003年)に菅原道真の邸宅「菅原院」の旧殿を源融(みなもとのとおる)の邸宅「六条河原院」跡地に移し、歓喜寺としましたが、その際に道真の霊を祀…
東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。正式名は神齢山悉地院大聖護国寺。天和元年(1681年)、5代将軍・徳川綱吉は江戸城三の丸に暮らす生母、桂昌院(3代将軍・徳川家光の側室)の願いから、桂昌院の祈願寺…
天正9年(1581年)創建の浄土宗の寺で、庄内藩主・酒井家の菩提寺が鶴岡市にある大督寺。庄内藩農民の義民一揆「天保義民事件」を題材にした藤沢周平初の長編歴史小説『義民が駆ける』に登場しています。鶴岡公園(鶴岡城)から徒歩…
東京都文京区小石川の高台にある寺で、正式名は無量山傳通院寿経寺(むりょうざんでんづういんじゅきょうじ)ですが、一般に小石川の伝通院(でんづういん)と呼ばれています。伝通院という寺の院号は、徳川家康の生母・於大の方の法名「…
京都府と福井県との県境に位置する標高693mの青葉山(若狭富士)西山腹(舞鶴市)にある西国三十三所第29番札所の寺が松尾寺(まつのおでら)。和銅元年(708年)に中国の僧、威光(いこう)が開山したと伝わる古刹です。本尊は…
天平8年(736年)、徳道上人の創建と伝わる鎌倉長谷にある浄土宗の古刹、長谷寺(はせでら)。坂東三十三観音第4番霊場で本尊は十一面観世音菩薩。高台にあるため、長谷界隈でもっとも眺めがいい寺で、鎌倉の海岸線を眺望します。そ…
近江八幡市安土町にある古社が沙沙貴神社(ささきじんじゃ)。神代の昔、少彦名命(すくなひこのみこと)を祀ったことに始まり、古代に近江国(おうみのくに=現・滋賀県)に勢力を誇った豪族・沙沙貴山君(ささきやまぎみ)が大彦命(お…
応仁元年(1467年)~文明九年(1477年)の間、京を焼き尽くすほどの争乱になり、戦国時代移行の原因となった戦乱が応仁の乱。その戦火の緒戦の火蓋が切られたのが、京都市上京区の上御霊神社です。実は、当初は畠山家の家督争い…
鎌倉市長谷にある浄土宗の寺、高徳院。本尊は「鎌倉大仏」、「長谷の大仏」と通称される大仏(阿弥陀如来像)で、国宝。源頼朝が奈良大仏にならって大仏建立を発願しましたが、没後に建築が始まり、現在の大仏は建長年間の鋳造といわれて…
平安遷都の際、非業の死を遂げた早良親王(さわらしんのう=光仁天皇の皇子)の霊を鎮めるため、桓武天皇によって造営されたもの。正式名は御霊神社ですが、御所南東にある下御霊神社に対して、北に位置するため上御霊神社と呼ばれていま…