ヲンネモトチャシ跡(根室半島チャシ跡群)
根室半島には16世紀~18世紀にアイヌが構築した32ヶ所のチャシが残されています。そのうち24ヶ所が国指定史跡となり根室半島チャシ群として「日本100名城」に選定。つまりは日本最北で最東端の100名城というわけです。チャ…
根室半島には16世紀~18世紀にアイヌが構築した32ヶ所のチャシが残されています。そのうち24ヶ所が国指定史跡となり根室半島チャシ群として「日本100名城」に選定。つまりは日本最北で最東端の100名城というわけです。チャ…
幕府直轄領(天領)のうち重要な場所に置かれた奉行所が遠国奉行(おんごくぶぎょう)。北辺警備のために箱館(現在の函館)に1802(享和2)年に設置されたもの。箱館戦争が終結した2年後の明治4年に解体されていますが、4年間の…
松前藩戸切地陣屋跡が正式名で、幕末の1855(安政2)年、徳川幕府が松前藩に築造を命じた西洋式の城郭。五稜郭は、日米和親条約締結による箱館開港に伴い、1857(安政4)年に着工していますからこちらの方が先輩格の城となりま…
上ノ国町の夷王山(いおうざん)山上に広がる中世の館跡、勝山館跡。館跡の周辺に白い杭が立っていますが、これは中世の山城、勝山館に暮らした和人(注/和人という言葉は18世紀末に徳川幕府が東蝦夷地を直轄した以降に見られる比較的…
夷王山山頂直下、夷王山駐車場に隣接して建つ勝山館のガイダンス施設。「上ノ国の中世の館(たて)」として北海道遺産にも登録される勝山館・夷王山墳墓群の発掘調査から、北海道の知られざる歴史が次第に明らかになってきました。発掘調…
「上ノ国の中世の館(たて)」として「北海道遺産」に登録される中世の山城。松前藩の礎を築いた武田信広(武田信廣)の館跡です。標高159.1mの夷王山(いおうざん)から北東に伸びる尾根上に、和人とアイヌが混住していたと推測さ…
北海道・上ノ国町(かみのくにちょう)の背後にそびえる山が標高159.2mの夷王山。中世の北海道は夷島(えぞがしま)と呼ばれていましたが、夷の王の山が夷王山で、山頂の直下には松前城が築かれる以前の山城、勝山館(かつやまだて…
白浜城は房総半島最南端、野島埼灯台の北1kmほどの丘陵に位置する中世の山城。戦国時代に安房(あわ)を領有した里見氏の祖・里見義実(さとみよしざね)が安房に進出し、最初の拠点としたのが白浜城です。御賓頭廬(おびんづる)尊者…
幕末の1854(安政元)年に完成した松前城の天守。日本で最後の和式天守の築城で、明治維新でも破却されずに残されましたが、昭和24年に城内にあった役場当直室からの失火で焼失。現在の天守は昭和36年の再建で、松前城資料館(有…
松前城の本丸にあって松前藩の政庁だったのが表御殿。表御殿は、明治維新後は明治8年に開校した松城小学校校舎として使用され、明治33年の新校舎建築にあたって撤去されました。表御殿の玄関部分のみ新築された小学校の正面玄関に再利…
松前城(福山城)本丸御殿の正門。切妻造り、銅板葺きの櫓門です。1849(嘉永2)年、江戸時代初期の城郭を取り壊し、北方防備を重視して新しい城郭を建設した際の門。石垣は凝灰岩を方形に加工し、隙間なく石をすり合わせて積んだ美…
松前城を中心に、その背後に防御目的もあったという寺町、そして観光施設「松前藩屋敷」を含む21万3500平方メートルのという広大な公園。「桜見本園」、「新桜見本園」やバラ園(開花は7月~9月)、ボタン園(開花は6月中旬)も…
松前から上ノ国にかけては、北海道では最初に和人が定住した場所で、松前という地名はアイヌ語の「マツ・オマ・イ」(婦人・居る・ところ=永田地名解)に由来。つまり、先住民であるアイヌが住む地に、和人の女性が共存したという珍しい…
4月下旬、松前町商工観光課の公園担当職員が、松前城前の「桜前線本道上陸標準木」(ソメイヨシノ)の開花を確認。松前公園の開花宣言が行なわれます。「松前公園の開花宣言」、つまりは、北海道に桜前線が上陸したことになります。
館山市街の南に位置する標高65mほどの丘陵は、1580(天正8)年、里見義頼(さとみよしより)が築いた館山城跡。城跡一帯は「日本の歴史公園100選」にも選定される城山公園として整備され、城山山頂には、模擬天守が建てられて…
5層天守閣としては日本最古の城。築城は1504(永生元)年ですが、5層天守閣となったのは1593〜1594(文禄2〜3)年のこと。鉄砲や矢を放つ狭間(さま)も117ヶ所も設けられ、実戦を意識した設計であることがよくわかり…
1583(天正11)年、真田昌幸が築城した上田城。現在の城郭は真田氏の次に上田藩主となった仙石忠政によって江戸時代初期に復興されたもの。城跡は現在、ケヤキ並木が囲む「上田城跡公園」として整備されています。関ヶ原合戦の際に…
松代城(海津城/かいづじょう)は武田信玄と上杉謙信が相まみえた川中島合戦の際、1560(永禄3)年に信玄の拠点として築かれ、1622(元和8)年からは真田氏の居城となった城。『甲陽軍鑑』によれば山本勘助の築城。松代城公園…