和歌山城・本丸御殿跡

菱形になった和歌山城本丸曲輪の東の高台にあったのが本丸御殿。元和年間(1615年〜1624年)に創建されたもので、中央に七福の庭を配していました。初代・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)と正室、14代藩主・徳川茂承(とくがわもちつぐ)とその正室以外は山上で不便な本丸御殿ではなく、山麓の二の丸御殿に居城しました。

山上にあった御殿の跡は水道施設に

江戸時代になると、天守は藩の威光を示すシンボル的な存在となり、藩主や家族の生活の場は御殿へと移されました。
和歌山城には本丸曲輪に本丸御殿がありましたが、山上にあって不便なため、二の丸御殿を生活の拠点、政庁としていました。

1863(文久3)年3月〜1864(文久4)年10月までの間、14代藩主・徳川茂承夫人・倫宮則子(みちのみやのりこ=伏見宮邦家親王の娘)が本丸御殿に住んだため「宮様御殿」とも呼ばれました。

1846(弘化3)年の落雷による天守焼失の際も類焼を免れましたが明治の廃城令で破却。

大正12年に本丸御殿跡に上水道貯水池が設置され、現在では柵越しに見学ができるのみとなっています。

光恩寺(和歌山市大垣内663)の庫裡(くり)は、御殿の御台所を移築したもので、和歌山市の文化財。
七福神の姿に似た名石を巧みに配して宝船乗合いを模した「七福の庭」は大正12年に松の丸へ移設されています。

和歌山城・本丸御殿跡
名称 和歌山城・本丸御殿跡/わかやまじょう・ほんまるごてんあと
所在地 和歌山県和歌山市一番丁3
関連HP 和歌山城公式ホームページ
電車・バスで JR和歌山駅から和歌山バス和歌山港方面行きで6分、公園前下車すぐ
ドライブで 阪和自動車道和歌山ICから約5km
駐車場 和歌山城不明門駐車場(70台/有料)・和歌山市中央駐車場(577台/有料)
問い合わせ 和歌山城整備企画課 TEL:073-435-1044/FAX:073-426-3905
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

和歌山城

2017年6月22日

 

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