江戸城本丸 松之大廊下跡(皇居東御苑)
江戸城本丸の表御殿大広間から白書院に続いていたのが有名な松之大廊下(松之廊下)。江戸城で2番目に長い廊下で、襖戸に松並木と千鳥が描かれていました。1701(元禄14)年、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良…
13東京都江戸城本丸の表御殿大広間から白書院に続いていたのが有名な松之大廊下(松之廊下)。江戸城で2番目に長い廊下で、襖戸に松並木と千鳥が描かれていました。1701(元禄14)年、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良…
13東京都徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿ですが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥(おおおく)。将軍の正室、子女や、奥女中(御殿女中)の居住空間だった場所で、映画やドラマにも描かれています。現在は皇居東御…
13東京都皇居東御苑内の広々とした芝生が広がる場所は、江戸城の本丸跡。表御殿、中奥(なかおく)、大奥に分かれ、表御殿は、諸役人が執務する幕府行政の中心機関で、将軍の謁見なども行なわれた建物。最も格式の高い「大広間」は正月などに諸大…
13東京都江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。同…
13東京都江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。百…
13東京都江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋(きたはねばし)門から入苑できます。大手三の門を入った中之門には江戸城の中でも最大級の巨石が使用されていますがその脇に位置するのが大番所。番…
13東京都江戸城本丸北隅にあった天守(天守閣)は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていました。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当。石垣は、南部、津軽の二候が築いた…
12千葉県亥鼻(いのはな)は猪の鼻のように突き出した地形という意味。都川河口に突き出した台地の上に千葉氏の居館だった亥鼻城(千葉城)があり、千葉発祥の地となっています。源頼朝の重鎮だった千葉常胤(ちばつねたね=一の谷合戦、奥州藤原…
31鳥取県「お城山」と呼ばれる標高263mの久松山(きゅうしょうざん)にある7.37haの公園。16世紀半ばに築城されたという鳥取城の米蔵跡、二の丸、天球丸跡を公園として整備したもので、園内には石垣も残っています。二の丸を中心に2…
31鳥取県因幡の国人領主・志加奴氏(鹿野氏)の居城が鳥取市鹿野町にある鹿野城。1544(天文13)年、因幡に侵入した尼子晴久の攻撃で、落城。1580(天正8)年、羽柴秀吉の鳥取城攻撃の際に織田方になり、亀井茲矩(かめいこれのり)が…
31鳥取県1580(天正8)年、羽柴秀吉の因幡平定の際に、陣を築いたと伝わるお城山(天秤山)に建つふるさと創生事業で築かれた模擬天守。1階〜3階は旧河原町を紹介する展示コーナー、最上階が展望台となっています。戦国時代には丸山城があ…
31鳥取県中海に臨む標高90.5mの湊山に築かれた近世の名城で、国の史跡に指定されています。戦国時代末期の1591(天正19)年に吉川広家(きっかわひろいえ)が月山の富田城から城を米子に移し四重櫓を建設したのが始まり。すでに中世的…
11月館山市の城山公園には、丸岡城を模して昭和57年に再建された模擬天守として館山城(館山市立博物館本館)が建っていますが、11月下旬~12月上旬にはモミジ、イチョウの紅葉・黄葉が見頃を迎えます。千葉県がPRする「日本一遅い紅…
01北海道「四稜郭(しりょうかく)を知っていますか?」この質問を函館界隈の観光関係者に投げかけると、なぜ、そんな当たり前のことを聞くのかという顔で、「もちろん知ってますよ。ほら、小さいですがパンフにも載っています」なんて答えが必ず…
11月国宝松本城(松本城公園)をスタート地点に、アルプスの展望ポイントや、温泉地、歴史の名所を訪ね歩く、2日間のウォーキングイベント。2016年から地図だけを手掛かりに「印所」を探し出し、そこに置かれた「印判」を集めながらゴー…
20長野県小諸城は、日本唯一といえる「穴城」。どうして穴城かといえば、城の玄関口である大手門がもっとも標高の高い場所にあり、本丸がもっとも低地にあるため。本丸を城郭の片隅に配置する梯郭式(ていかくしき)という縄張りですが、このスタ…
20長野県「天下分け目」といわれた関ヶ原の合戦には、実は徳川の本隊は戦闘に参加していません。徳川秀忠率いる徳川本隊は、総勢3万8000人という大軍。家康軍が東海道を進軍したのに対し、秀忠の徳川本隊を碓氷峠を越えて中山道を進みます。…
20長野県上田市真田町にある「真田氏歴史館」。その西側に広がる御屋敷公園が上田城築城以前の真田氏の居館です。平時にはこの居館を利用し、いざというときには山城の真田本城を使いました。中世(戦国時代)の居館ですから建物などは残されてい…