江戸城 清水門(重要文化財/北の丸公園)

江戸城北の丸(現・北の丸公園)の東門。高麗門と渡櫓門からなる門は、江戸時代のものが現存し、国の重要文化財に(文化庁の管理)。清水門という名の由来は、家康入府で江戸城が築城される以前、中世には清水寺が建っていたとか、清水が湧き出す土地だからともいわれ定かでありません。

江戸時代初期の枡形門が現存し、国の重要文化財に!

清水濠と牛ヶ淵を分ける長い土橋の先に高麗門が
土橋の上から清水濠を眺望

1624(寛永元)年、安芸広島藩主・浅野長晟(あさのながあきら)により建てられた枡形門が最初。
現存する清水門は、1657(明暦3)年、明暦の大火(振袖火事)で焼失後、1658(万治元)年の再建。
渡櫓門の上部(渡櫓部分)は、時期は不明ながら撤去されていたものを昭和36年~41年度の修理で復旧整備したもの。

牛ヶ淵(うしがふち)と清水濠を分かつ長い土橋を進むと高麗門。高麗門を入ると正面に石垣、左側は清水濠に面しています。右側は石垣を積み櫓門という防御態勢。
江戸城の中では比較的に人影が少ないので、往時をイメージするには絶好の場所となっています。

高麗門の肘壷(ひじつぼ)金具の銘に、「万治元年」(1658年)と刻まれていますが、江戸城が焼失後、総曲輪(総曲輪)の大工事を行なった際に清水門を修復。その時付けられたと推測できます。

ひさしが狭いのも見通しを良くする防御側の設計思想
皇居東御苑の門と異なり石段も現存

皇女・和宮の輿入れはこの門から清水邸に入った!

1759(宝暦9)年、9代将軍・徳川家重の次男・徳川重好(とくがわしげよし)に清水門内の北の丸に屋敷を与え、一家を創立させたため、門名にちなんで清水家と称しています。これによって御三卿・清水家が生まれています。

1862(文久2)年11月15日、公武合体政策による、皇女・和宮の輿入れの際には、中山道板橋宿を出立し、清水門から北の丸の清水邸に入っています。江戸城本丸への入輿を果たすのは、12月11日のこと。

1863(文久3)年11月15日の城内の火事で、本丸表御殿・大奥炎上後には、第14代将軍・徳川家茂と夫人である和宮(静寛院宮)は一時、北の丸内に移っていたといわれています。

高麗門と渡櫓門で構成される清水門
御三卿(田安家・一橋家・清水家)
徳川氏の一族から分立した大名家で、田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家が御三卿。徳川御三家に跡継ぎがいない時には御三卿から後継者を出しています。
田安家=第8代将軍徳川吉宗の次男・徳川宗武が創始=田安門内で清水邸の西、日本武道館あたりに邸を構えていました。田安明神(現・築土神社)の旧地であったことが名の由来。作家・徳川宗英はその末裔。
一橋家=第8代将軍徳川吉宗の四男・徳川宗尹が創始=第11代将軍・徳川家斉と第15代将軍・徳川慶喜は一橋家出身。一橋門内に邸を構えたのが名の由来。天璋院・篤姫は江戸城無血開城後は一橋家に身を寄せています。
清水家=第9代将軍徳川家重の次男・徳川重好が創始=江戸城清水門内で田安邸の東、現在の日本武道館あたりに邸宅が。明治維新後は甘泉園(東京都新宿区西早稲田)に移っています。

古地図に見る清水門&江戸城北の丸

江戸城 清水門
名称 江戸城 清水門/えどじょう しみずもん
所在地 東京都千代田区北の丸公園
関連HP 北の丸公園公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ・都営地下鉄九段下駅から徒歩3分
駐車場 北の丸公園第1駐車場(145台/有料)、第2駐車場(107台/有料)、第3駐車場・武道館前(260台/有料)
問い合わせ 北の丸公園管理事務所 TEL:03-3211-7878
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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