日本最古の現役官公庁建物は、京都府庁旧本館!?
道府県の旧庁舎としては三重県、北海道、山形県の旧庁舎に次いで全国で5番目の国の重要文化財に指定される京都府庁旧本館ですが、京都府は、「現在も執務室として使用されており、創建時の姿をとどめる現役の官公庁建物としては日本最古…
道府県の旧庁舎としては三重県、北海道、山形県の旧庁舎に次いで全国で5番目の国の重要文化財に指定される京都府庁旧本館ですが、京都府は、「現在も執務室として使用されており、創建時の姿をとどめる現役の官公庁建物としては日本最古…
京都府京都市中京区弁慶石町、三条通と御幸町通の交差点に建つレトロなビルが、1928ビル(旧毎日新聞社京都支局)。昭和3年10月に大阪毎日新聞社京都支局ビル「京都大毎会館」として建築された建物で、設計は山口県庁(国の重要文…
徳島県三好市東祖谷、屋島の源平合戦に敗れた平氏一族が落ち延びてきたと伝えられる東祖谷の大枝地区にあるのが、武家屋敷喜多家(ぶけやしききたけ)。源平合戦に敗れた平家落人(へいけおちうど)は讃岐山脈を経て、阿波へと入り、吉野…
山口県萩市平安古町、平安寺近くに建つのが、村田清風別宅跡(むらたせいふうべったくあと)。長屋門だけが残され、村田清風の旧宅として萩市の史跡に指定。村田清風は、萩藩の天保の改革を指導。藩の財政再建、文武奨励など、明治維新に…
山口県萩市平安古町、往時の地割を残した萩市平安古地区伝統的建造物群保存地区に選定される平安古(ひやこ)の鍵曲(かいまがり)すぐ近くにあるのが、坪井九右衛門旧宅(つぼいくえもんきゅうたく)。坪井九右衛門は、尊王攘夷派によっ…
山口県萩市堀内、萩城跡(指月公園)内にある、志都岐山神社(しづきやまじんじゃ)の社務所で、萩城三の丸(堀内)にあった永代家老・福原家上屋敷の書院を移築したものが、旧福原家書院(きゅうふくばらけしょいん)。天明年間(178…
富山県高岡市伏木古国府、JR氷見線・伏木駅近くにあるのが、高岡市伏木北前船資料館(旧秋元家住宅)。北前船の寄港地として栄えた伏木の歴史を今に伝える廻船問屋を資料館に再生したもので、高岡市内で唯一という望楼の残る土蔵にも注…
山口県萩市堀内にある明治時代建立の門が、旧毛利家別邸表門。もともとは最後の長州藩主となった毛利元徳(もうりもとのり)が明治時代に鎌倉・材木座に建てた別邸とともに大正10年に萩・東田町に移築したもので、昭和49年に現在地に…
青森県弘前市、弘前公園(弘前城)の北側、かつての武家屋敷町で、弘前市仲町重要伝統的建造物群保存地区に選定される一角に建つのが、旧岩田家住宅。青森県の重宝に指定される旧岩田家住宅は、寛政10年 (1798年)〜文化5年(1…
青森県十和田市、奥入瀬川右岸の栃窪集落にある江戸時代後期(18世紀半ば頃)の築と推測される上北地方の典型的農家が、旧笠石家住宅。昭和48年頃まで使用されていた寄棟造り、茅葺きの農家です。代々林業を営んできた笠石家建物は、…
東京都品川区南品川1丁目、京急・新馬場駅の東、目黒川に架かる品川橋の南詰にあるのが、旧品川警察署品川橋交通待機所。昭和4年築の国の登録有形文化財で、東海道沿いに位置するので、散策する人も多く、南品川櫻河岸まちなか観光案内…
鹿児島県鹿児島市吉野町、明治37年建築で国の登録有形文化財に指定された旧島津家芹ヶ野金山鉱業事業所を再生した「スターバックス リージョナル ランドマーク ストア」。世界文化遺産にも登録されている仙巌園内にあり、地域文化を…
新潟県村上市三之町、村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)の北にあるのが、三の丸記念館。明治40年に村上銀行本店として建築された和風銀行建築を集会場や作品展の展示会場として再生したもの。昭和57年まで西側の小町で店舗として活…
広島県呉市豊町御手洗、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島で町並み保存地区(国の重伝建)に選定されるのが、御手洗(みたらい)。風待ち湊として栄えた御手洗の歴史ある家並みの中で、珍しい洋館が別宅となるのが、鞆田邸。大正から昭和にかけて…
広島県呉市豊町御手洗、西廻り航路の風待ち湊として発展した大崎下島の御手洗(みたらい)。昔町のメインストリートである常盤町通りにあるのが、旧柴屋住宅(きゅうしばやじゅうたく)。大長村庄屋役、御手洗町年寄役を代々務めた高橋家…
広島県呉市豊町御手洗、風待ち湊として栄えた昔町・御手洗(みたらい)。呉市豊町御手洗伝統的建造物群保存地区に指定される家並みのなか、若胡子屋跡のはす向かいに建つのが、金子邸。白壁の塀に囲まれた豪商の屋敷は、土・日曜、祝日の…
広島県呉市豊町御手洗、西廻り航路の風待ち湊として発展した大崎下島の御手洗(みたらい)。湊町で最大の遊郭だった遺構が、若胡子屋跡(わかえびすやあと)。当時の千石船(弁財船)は、一枚帆のため、風待ち、潮待ちの必要があり、船乗…
東京都世田谷区岡本2丁目、かつては三菱財閥創業者・岩崎家の庭園として管理されていた場所が、岡本静嘉堂緑地(おかもとせいかどうりょくち)。緑地内にあるのが岩崎家廟堂で、岩崎弥之助没時に、岩崎小弥太が納骨堂として建築。ニコラ…