ロケット特攻機「桜花」の出撃地、下滝田基地跡を見学!|南房総市
本土決戦最後の切札として、海軍が全力を挙げて開発したロケット特攻機「桜花」四三乙型。 その秘密発射基地が造られたのが現在の南房総市下滝田。 ここに下滝田基地があったのです(TOPの画像は5式噴進射出装置=射出用カタパルト…
本土決戦最後の切札として、海軍が全力を挙げて開発したロケット特攻機「桜花」四三乙型。 その秘密発射基地が造られたのが現在の南房総市下滝田。 ここに下滝田基地があったのです(TOPの画像は5式噴進射出装置=射出用カタパルト…
海中に海底神社も鎮座する千葉県館山市波左間(はさま)。 夏は海水浴でも賑わう羽佐間地区ですが、その集落前、漁港近くの海岸に海に突き出したコンクリート製の構造物が。 かなり歴史を感じさせるこの構造物こそ、水上特攻艇(特殊潜…
亀山城は、1265(文永2)年、関実忠が若山(現・三重県亀山市若山町)に築城した亀山古城に始まる東海道の要衝に位置する城。1590(天正18)年、羽柴秀吉に仕えた岡本良勝が近世的な城郭に変え、その後、歴代藩主の手で城郭が…
木曽三川の河口に位置したことで、尾張、伊勢、美濃3国の、木材や米などの集散地となった桑名。近世城郭は、関ヶ原合戦直後の1601(慶長6)年、徳川家康が徳川四天王のひとり、本多忠勝を桑名に封じたことに始まります。現存するの…
東海道は宮宿(熱田宿=名古屋市熱田区)から「七里の渡し」で伊勢湾の海上を船で渡り(所要は3時間から4時間と推定されています)、揖斐川河口(桑名城の脇)に位置した桑名宿の渡船場に上陸しました。江戸時代の「海上国道」で、その…
1560(永禄3)年5月19日、小勢の織田信長が今川義元の大軍を破った古戦場で国の史跡。桶狭間(おけはざま)は、東海道では池鯉鮒(知立)宿と有松宿の間に位置しますが、両軍とも東海道を通ってはいません。桶狭間古戦場の正確な…
長篠城は、豊川(寒狭川)と宇連川(三輪川)の合流地点に位置し、ふたつの川を堀に見立てた天然の要害。「長篠城址史跡保存館」は、国指定史跡の長篠城本丸跡脇に建つ城を模した博物館で、戦国時代の武具や出土品を収蔵展示しています。
長篠城(ながしのじょう)は、今川氏親の家臣、菅沼元成が1508(永正5)年に築いた城。1575(天正3)年の長篠の戦いで、時の城主・奥平貞昌(おくだいらさだまさ=奥平信昌)がわずか500の兵で籠城し、1万5000という大…
愛知県知立市にある城跡で、知立神社(知鯉鮒明神)の神主である永見氏が代々城主を兼ねていた館跡。「永見氏家譜」には13代・永見貞春が、保元・平治の乱に北面の武士(朝廷側)として出陣しています。1560(永禄3)年の桶狭間(…
愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった岡崎城・本丸跡に建つのが、三河武士のやかた家康館。徳川300年を築いた徳川家康の人間像と、その歴史を家康とともに歩んだ三河武士を紹介する博物館。岡崎城の本丸跡、復興天守に寄り添うように…
愛知県岡崎市奥殿町にある陣屋が奥殿陣屋。徳川秀忠に仕え、大坂の陣の戦功により3000石を与えられた松平真次が、大給(豊田市大内町)に陣屋を構えたのが奥殿松平家の始まり。2代目の松平乗次は大坂定番となって1万6000石に加…
岡崎城(愛知県岡崎市)は、徳川家康が出生した城として有名。天守は明治時代に取り壊され、現在の天守は、昭和34年の再建で、1617年(元和3)に本多忠利が再建したものをモデルとしたもの。2〜4階は、江戸時代の岡崎を紹介する…
濃尾平野の東部にある標高85.9mの独立峰が小牧山。織田信長は1563(永禄6)年に小牧山城を築城し、清洲から居城を移していますが、4年後に美濃の斎藤道三(さいとうどうざん=斎藤龍興)を攻略して稲葉山城(岐阜)へ移り、短…
中世に尾張国守護所があり尾張の中心地だった清須(清洲)。1555(弘治元)年に織田信長が那古野城(なごやじょう=名古屋城の前身)から入城し、この清須を拠点に尾張統一を果たし、天下布武への足がかりを築きました。今川義元を討…
織田信長は、1562(永禄5)年に徳川家康と清洲城(清須城)で清洲同盟を結ぶと、いよいよ濃尾平野の制覇、美濃攻略の拠点として1563(永禄6)年、濃尾平野を見渡す小牧山(こまきやま)に城を築いています。小牧山城の構造は、…
岩崎城は尾張国の東端を守る信長の父・織田信秀が築城した織田氏の支城。その後丹羽氏の居城となり、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄(信長の二男)の連合軍が戦う小牧・長久手の戦いの激戦地となっています。模擬天守は、岩崎城歴史記念館…
かつての清洲城の城跡は東海道本線と東海道新幹線によって南北に分断されていますが、南側の城跡が清洲公園(北側が清洲古城跡公園)。「清洲村古城地図」をもとに、清洲城本丸・天守台の地域の保存を目的として大正11年に開園した都市…
江戸と京を結んだ東海道は宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)まで伊勢湾を船で渡りました(海路を嫌った人のための佐屋街道もありました)。その距離から「七里の渡し」と呼ばれた航路で、その渡船場跡が「宮の渡し…