明治の家並み
愛媛県大洲市大洲、小京都とも称される大洲は、伊予大洲藩6万石の城下町。市街の中心にあるのが、明治の家並みと通称される南北の通りで、明治時代に建てられた町家が連なっています。明治・大正時代に栄えた養蚕、製糸の当時を偲ぶ家並…
愛媛県大洲市大洲、小京都とも称される大洲は、伊予大洲藩6万石の城下町。市街の中心にあるのが、明治の家並みと通称される南北の通りで、明治時代に建てられた町家が連なっています。明治・大正時代に栄えた養蚕、製糸の当時を偲ぶ家並…
愛媛県は、吉本興業の人気お笑いコンビ・和牛(水田信二=愛媛県伊予市出身、川西賢志郎)のふたりが愛媛の観光名所やグルメを紹介する、愛媛県観光PR動画『疲れたら、愛媛。』の第2弾動画を、2023年9月7日、コロナ禍での公開自…
旭醤油醸造場は、愛媛県宇和島市吉田町にある老舗の醤油醸造所。創業明治15年という歴史を誇る宇和島の老舗。かつては日本全国にご当地醤油・味噌醸造所がありましたが、今では数少なくなってしまいました。そんな貴重な醸造所が生み出…
「松山あげは美味しいから試してごらん」。愛媛県の人に「あげ」のことを尋ねると異口同音に返ってくる答えが、コレ。とはいえ、松山市内のあげならOKというわけではなく、愛媛県松山市、程野商店(ほどのしょうてん)の「松山あげ」の…
愛媛県新居浜市、別子銅山の鉱石輸送や、昭和に入ってからは旅客輸送を担った鉄道で、明治26年2月に下部鉄道が、8月に上部鉄道が開通。日本初の山岳鉱山鉄道ですが、とくに上部鉄道は、等高線に沿って最小半径15.24mの急カーブ…
愛媛県西条市と高知県吾川郡いの町の境、昭和39年に国道194号のトンネルとして開通したのが寒風山隧道。平成11年4月17日に四国最長の道路トンネルでもある寒風山トンネル(新寒風山トンネル)が開通したことにより、旧寒風山ト…
名城の多い愛媛県ですが、今治城(今治市)、湯築城(ゆづきじょう/松山市)、松山城(松山市)、大洲城(大洲市)、宇和島城(宇和島市)が日本100名城、能島城(今治市)、河後森城(かごもりじょう/松野町)が続日本100名城に…
愛媛県北宇和郡松野町にある中世の山城が、河後森城(かごもりじょう)。四万十川の支流・広見川、さらにその支流の堀切川、鰯川の3河川に囲まれた丘陵という天然の要害を利用し、本郭など9の郭(くるわ)を山上に配した大規模な山城で…
愛媛県松山市、道後公園にある石造りの湯釜が、湯釜薬師。直径166.7cm、高さ157.6cmという円筒形の花崗岩製湯釜はかつての道後温泉の湯口。天平勝宝年間(749年~757年)に造られたという日本最古の湯釜です(あくま…
愛媛県松山市冠山、道後温泉の冠山の頂に鎮座する景行天皇の御代の創建と伝わる古社が、湯神社(ゆじんじゃ)。主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)。宝永地震で湯が出なくなった際、湯神社に祈願…
愛媛県上浮穴郡久万高原町を流れる高野本川にある甌穴群が、四国でも数少ない国の特別天然記念物に指定される八釜の甌穴群(やかまのおうけつぐん)。国道440号から山道を下った場所にあり、全長1.2kmの遊歩道が整備されています…
愛媛県松山市北条、鹿島の沖合に浮かぶのが、玉理島・寒戸島(ぎょくりじま・かんどじま)。本家の伊勢・二見浦の夫婦岩同様にしめ縄で結ばれ、伊予二見、夫婦岩とも称されています。玉理島と寒戸島の間は33mあり、42mの大しめ縄で…
愛媛県松山市大浦、河野水軍の本拠地、鹿島の北、波妻の鼻(はづまのはな)の海岸にあるのが、波妻の夫婦岩。波妻の鼻は、半島全体が波妻の鼻わくわくランド(北条公園)として整備されていますが、その北側の海岸にある奇岩が、夫婦岩で…
愛媛県大洲市豊茂、八幡浜市から北東の山中に伸びる愛媛県道28号(長浜保内線)途中、大和川沿いの谷にあるのが人面岩。大洲市側の伊予出石駅からなら5kmほどの場所で、地元の石工・力石力造(ちからいしりきぞう)が天保9年(18…
愛媛県四国中央市金田町にある古墳が、朝日山古墳。標高165mほどの原峰丘陵の尾根上に築かれた直径17m、高さ4.5mの円墳で、両袖式の横穴式石室(全長7.0m)が開口しており、玄室・玄門・羨道・羨門が良好な状態で完存する…
愛媛県今治市朝倉南にある愛媛県内では最大規模の古墳群が、野々瀬古墳群。そのうちの1基、野々瀬1号墳の七間塚古墳(しちけんづかこふん)は、野々瀬古墳群最大の古墳(円墳)で、7世紀初頭の築造と推定されています。残存する墳丘は…
愛媛県今治市通町3丁目、今治城の二の丸東隅に再建されているのが、御金櫓(おかねやぐら)。今治城の遺構は、明治維新後にすべて破却され、現存する建物はすべて昭和55年以降の再建ですが、御金櫓は絵図などを基に昭和60年にコンク…
愛媛県今治市通町3丁目、今治城の三の丸西隅に再建されているのが、山里櫓。今治城の遺構は、明治維新後にすべて破却され、現存する建物はすべて昭和55年以降の再建ですが、山里櫓は平成2年、市制70周年記念事業として建築されたも…