西郷隆盛の墓
鹿児島県鹿児島市上竜尾町、薩軍兵士2023名が眠る南洲墓地(なんしゅうぼち)の一角にあるのが、西郷隆盛の墓。西郷隆盛を囲むように兵士の墓が並び、西郷隆盛と深い親交があった勝海舟(かつかいしゅう)が亡き友のために詠んだ歌碑…
鹿児島県鹿児島市上竜尾町、薩軍兵士2023名が眠る南洲墓地(なんしゅうぼち)の一角にあるのが、西郷隆盛の墓。西郷隆盛を囲むように兵士の墓が並び、西郷隆盛と深い親交があった勝海舟(かつかいしゅう)が亡き友のために詠んだ歌碑…
鹿児島県指宿市山川福元、「スヌーピー山」とも称される奇岩・竹山(標高202m)の麓にある開聞岳眺望の絶景露天風呂が、ヘルシーランド露天風呂「たまて箱温泉」。開聞岳と東シナ海を望む和風露天風呂と、竹山と海が見渡せる洋風露天…
鹿児島県鹿児島市吉野町、薩摩藩島津家別邸「名勝仙巌園」内、尚古集成館近くに建つ鹿児島県の伝統工芸品にも指定された薩摩切子の展示販売施設が、磯工芸館。建物は、旧島津家吉野殖林所で、吉田村(現・鹿児島市吉田町)に明治42年に…
鹿児島県鹿児島市吉野町、明治37年建築で国の登録有形文化財に指定された旧島津家芹ヶ野金山鉱業事業所を再生した「スターバックス リージョナル ランドマーク ストア」。世界文化遺産にも登録されている仙巌園内にあり、地域文化を…
鹿児島県鹿児島市山下町、国道10号の走る西郷隆盛銅像前交差点が、国道58号の起点。あまり知られていませんが、海上国道の部分を含めると879.6km(鹿児島県709.9km、沖縄県169.7km)と日本最長の国道が国道58…
鹿児島県南九州市川辺町高田、永里川沿い、たかたの命水近くにあるのが、高田石切場(たかたいしきりば)。江戸時代の文化文政年間(1804年〜1830年)に切り開かれた高田石を切り出す石切り場の跡で、柔らかく加工しやすい反面、…
鹿児島県大島郡知名町(沖永良部島)、総延長10482.7mと日本第3位を誇る大山水鏡洞(おおやますいきょうどう)。入口によって、リムストーンケイブ、大蛇洞(だいじゃどう)という2つのケイブコースがあり、リムストーンケイブ…
鹿児島県大島郡与論町、与論島の南東部、赤崎海岸の背後の台地にある鍾乳洞が、赤崎鍾乳洞。与論島は珊瑚礁が隆起した平坦な島で、島の内陸部はカルスト地形。本洞120m、北支洞130m、南支洞20mの観光洞で、入洞料を支払い、ヘ…
鹿児島県大島郡瀬戸内町、加計呂麻島(かけろまじま)の島尾敏雄文学碑公園の北側、干潮時には干潟が広がる呑之浦(のみのうら)にあるのが第18震洋隊基地跡。太平洋戦争末期、後に小説家となった島尾敏雄(しまおとしお)を隊長とする…
鹿児島県大島郡瀬戸内町手安、奄美大島の玄関港・古仁屋港の北東にある戦争遺跡が、手安弾薬本庫跡。奄美大島と加計呂麻島に挟まれた大島海峡防備のため、大正8年に設置が決まった奄美大島要塞の一部で、戦時中は島民にもその存在を知ら…
鹿児島県大島郡瀬戸内町、奄美大島の西端、東シナ海、大島海峡に臨む曽津高崎近くに、日露戦争直後、奄美大島要塞の一部として築かれた戦争遺跡が、西古見掩蓋式観測所跡(にしこみえんがいしきかんそくじょあと)。掩蓋とは敵弾の危害を…
鹿児島県大島郡瀬戸内町嘉鉄、奄美大島の南端部、鹿児島県道626号(蘇刈古仁屋線)沿いにある展望駐車公園が、ハートが見える風景。奄美大島では龍郷町のハートロックが有名ですが、瀬戸内町の場合は、大島海峡の入江(嘉鉄湾)がはハ…
春から夏のかけての大潮の干潮時にのみ島のように出現する「幻の大陸」、八重干瀬(やびじ)を筆頭に、サンゴ礁の海に眠り、大潮や干潮時のみ出現する幻の島、奇跡の島、幻のビーチを紹介。降り注ぐ太陽を遮るものはなにもないという別世…
薩摩藩は兵農分離を行なわず、外城制(とじょうせい)という中世的な制度で支配していました。藩庁となった鹿児島城が日本100名城、シラス台地に築かれた中世の山城の志布志城と知覧城が続日本100名城に選定。以上の3城が鹿児島県…
鹿児島県薩摩郡さつま町を流れる一級河川・川内川の中流部に築かれたダムが、鶴田ダム。ダム湖の大鶴湖は、ダム湖百選にも選定されています。ダムの上流側には大鶴湖に水没し、渇水期に姿を表す曽木発電所遺構、その上流には「東洋のナイ…
鹿児島県伊佐市を流れる川内川の沿いにあるレンガ建築の遺構が、曽木発電所遺構。「東洋のナイアガラ」と称される曽木の滝の1.5km下流側にあり、対岸を走る鹿児島県道404号(鶴田大口線)沿いに曽木発電所遺構展望公園が用意され…
鹿児島県鹿児島市喜入町(きいれちょう)、薩摩藩の外城(とじょう)だった喜入旧麓(きいれもとふもと)地区を流れる八幡川の蛇行部分が、香梅ヶ渕。喜入を領有した給黎城主の侍女・香梅が渕に身を投げたという悲話が伝わっています。
鹿児島県志布志市にある中世の山城が、志布志城(しぶしじょう)。築城年代は不明ですが、南北朝時代には拡充されています。志布志小学校の裏山の内城(本丸)が中心で、西の松尾城、志布志中学校に近い高城、新城で構成され、現在の志布…