東公園・佐世保東山海軍墓地
長崎県佐世保市東山町にあるのが、東公園で佐世保東山海軍墓地を整備した都市公園。地元では海軍墓地、東山公園と呼ばれています。明治22年7月1日に開庁した佐世保鎮守府(させぼちんじゅふ)ですが、個人墓、艦船や潜水艦、戦線別の…
長崎県佐世保市東山町にあるのが、東公園で佐世保東山海軍墓地を整備した都市公園。地元では海軍墓地、東山公園と呼ばれています。明治22年7月1日に開庁した佐世保鎮守府(させぼちんじゅふ)ですが、個人墓、艦船や潜水艦、戦線別の…
長崎県佐世保市、俵ヶ浦半島(旧陸軍佐世保要塞俵ヶ浦地区)にの最高部(標高142m)に残る、佐世保要塞時代の砲台・丸出山堡塁に設置された砲戦指揮のために建設された施設の跡が旧陸軍佐世保要塞・丸出山観測所跡。明治34年に建設…
長崎県佐世保市に残る、佐世保要塞時代の砲台跡が旧陸軍佐世保要塞・小首堡塁跡。佐世保に軍港が設置されると、その防衛のため陸軍により佐世保要塞が設置され、明治34年までに佐世保港の入口を守備するために、7ヶ所の砲台が築かれて…
長崎県佐世保市の針尾島にある海上保安庁の無線送信所が針尾送信所ですが、巨大な3本の鉄筋コンクリート製の電波塔(針尾無線塔)は大正時代に建てられたもので、旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設の名称で国の重要文化財に指定され…
長崎県諫早市小野島町にある干拓をテーマにしたテーマパーク、諫早ゆうゆうランド干拓の里に移設された庄屋屋敷が旧早川家住宅。明治7年に北高来郡小野村(現・諫早市赤崎町)に諫早鍋島家家臣・木下助内が建設したものを、平成4年に移…
長崎県諫早市小野島町にある干拓をテーマにしたテーマパーク、諫早ゆうゆうランド干拓の里のメイン施設が、むつごろう水族館。潮が引いた干潟の上で生活するムツゴロウを自然環境に近い状態で展示する水族館で、本明川、そして有明海の干…
長崎県諫早市小野島町にある干拓をテーマにした12.5haという広大な面積のテーマパークが諫早ゆうゆうランド干拓の里。鎌倉時代から干拓が行なわれていたという有明海。諫早干拓資料館、むつごろう水族館、干拓の里馬事公園、庄屋屋…
長崎県長崎市松山町一帯は、昭和20年8月9日11:02、長崎に投下された原子爆弾の爆心地で、その中心に爆心地公園・原子爆弾落下中心地碑があり、一帯が「平和公園祈りのゾーン 中心地地区」として整備されています。原子爆弾は、…
爆心地に近い長崎県長崎市平野町にある一般市民にも多くの犠牲者を出した原爆の惨禍を今に伝えるミュージアムが長崎原爆資料館。昭和20年8月9日、長崎に投下された原爆。記録映画の上映をはじめ、瓊浦中学校の給水タンク、火の見やぐ…
長崎県長崎市大浦町にある日本で唯一の本格的な中国様式の孔子廟と、ミュージアムが孔子廟・中国歴代博物館。現存する孔子廟は、明治26年、中国・清朝政府と華僑によって建てられたものを昭和54年、中国政府の援助によって修復したも…
長崎県佐世保市松浦町にある「九十九島せんぺい」の製造発売元が九十九島せんぺい本舗松浦店。西海国立公園の中心をなす多島美が、九十九島(くじゅうくしま)。佐世保市内にはこの九十九島を眺望する展望地が数ありますが、その島々をイ…
長崎県佐世保市黒島町、島民の7割がカトリック信者という黒島にある教会堂が黒島教会。現在の聖堂は、信徒たちの献金と勤労奉仕で明治35年に完成したもので国の重要文化財。天主堂を含む「黒島の集落」として、世界文化遺産「長崎と天…
長崎県佐世保市吉井町を流れる佐々川本流に架る2連石造アーチ橋。皇居・二重橋をイメージして大正11年に架橋された優美な石橋です。橋長36.0mは、現役の石橋としては長崎県内最長。幅員6.4mは、馬車がすれ違える幅(6mを確…
長崎県佐世保市吉井町にある松浦鉄道の橋梁が福井川橋梁。伊万里と佐世保を結ぶ旧伊佐線(松浦線)の施設で、昭和19年4月13日、潜竜駅(現・潜竜ヶ滝駅)〜 肥前吉井駅(現・吉井駅)間の延伸開業に伴って、昭和17年に完成したコ…
長崎県佐世保市吉井町にある松浦鉄道の橋梁が吉田橋梁。伊万里と佐世保を結ぶ旧伊佐線(松浦線)の施設で、昭和19年4月13日、潜竜駅(現・潜竜ヶ滝駅)〜 肥前吉井駅(現・吉井駅)間の延伸開業に伴って、昭和14年に完成したコン…
長崎県佐世保市吉井町にある松浦鉄道の橋梁が吉井川橋梁。伊万里と佐世保を結ぶ旧伊佐線(松浦線)の施設で、昭和19年4月13日、潜竜駅(現・潜竜ヶ滝駅)〜 肥前吉井駅(現・吉井駅)間の延伸開業に伴ってに完成したコンクリート造…
「水の都」と呼ばれ、市内各所に湧水のある長崎県島原市。なかでも新町一帯は、とくに湧き水が豊富で、1日1万tが湧出。町を流れる水路には鯉が放たれ、「鯉の泳ぐまち」として有名。その「鯉の泳ぐまち」にある無料休憩所が、しまばら…
長崎県佐世保市城間町にある巨大な防空壕が無窮洞(むきゅうどう)。第二次世界大戦中の昭和18年、当時の宮村国民学校(現・宮小学校)の教師と小学生たちが掘削した幅5m、奥行き20m、生徒600人が避難できたという巨大な防空壕…