下赤阪の棚田
長谷の棚田と並び、大阪府下に2ヶ所しかない「日本の棚田百選」選定の棚田。千早赤阪村にある棚田で、楠木正成の戦いの地として知られる下赤阪城跡から眼下に見ることができます。稲穂が垂れる秋には黄金色に輝く棚田を目当てに多くのカ…
長谷の棚田と並び、大阪府下に2ヶ所しかない「日本の棚田百選」選定の棚田。千早赤阪村にある棚田で、楠木正成の戦いの地として知られる下赤阪城跡から眼下に見ることができます。稲穂が垂れる秋には黄金色に輝く棚田を目当てに多くのカ…
大阪府と兵庫県の境、大阪府能勢町にある長谷の棚田(ながたにのたなだ)は、「がま」と呼ぶ石組みで造られた独特の給排水設備を持つ歴史的な棚田です。もともと耕作地が少なかった土地だったので、石を組んで給排水設備を整えながら棚田…
南海電鉄浜寺公園駅は、明治30年10月1日の開業(開業当初は浜寺駅)ですが明治40年6月に東京駅を設計したことで知られる辰野金吾が所属の辰野・片岡建築事務所に依頼して新駅舎を建築。「近畿の駅百選」に選定、国の登録文化財に…
大阪府和泉市、槇尾山の中腹にある天台宗の古刹が施福寺(せふくじ)。山号は槇尾山(まきのおさん)で、槇尾寺(まきおでら)と通称されています。『槇尾山大縁起』によれば第29代・欽明天皇が病気治癒の勅願により行満上人によって開…
大阪府茨木市にある総持寺は、仁和2年(886年)、中納言・藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が創建したと伝えられる古刹で西国三十三所22番札所。一条、後一条、白河、鳥羽天皇の勅願寺として栄えましたが元亀2年(1571年)、織…
大宝元年(701年)、役小角(えんのおづぬ)によって開かれ、大同3年(808年)、空海(弘法大師)が再興したと伝えられる河内長野市にある古刹が観心寺(かんしんじ)。後醍醐天皇から庇護を受け、建武新政直後の建武元年(133…
大阪府千早赤阪村にある楠木正成生誕の地という伝承が残る地。国史赤阪城跡(下赤坂城跡)から北に500m、国史楠木城跡(上赤坂城跡)から北に2kmという位置関係です。楠公誕生地一帯は、「道の駅ちはやあかさか」の敷地で、くすの…
7世紀後半、百済(くだら)の16代・辰斯王(4世紀末)の王子で日本に帰化した辰孫王の子孫、葛井連広成(ふじいのむらじひろなり=白猪史広成・しらいのふひとひろなり) が当時の天皇の仏教興降政策に協力して創建と伝えられる古刹…
大阪府千早赤阪村にある楠木正成が築いた難攻不落の中世の山城跡が千早城。大和国と河内国を結ぶ千早街道を抑える交通の要衝に位置しています。楠木正成は、鎌倉幕府軍との合戦の地、赤坂城の詰めの城として千早城を築き、下赤坂城、上赤…
大阪市天王寺区にある古社で、創建については定かでありませんが、天慶5年(942年)に菅原道真を合祀して天満宮となっています。菅原道真が大宰府に流されるとき、この地で、風待ちをしたという伝承があります。慶長20年(1615…
大阪府の羽曳野市と藤井寺市にまたがる古市古墳群のうち、日本第2の巨大な古墳、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)に次いで大きい墳丘長290m、日本9位の古墳が仲姫命陵古墳(なかつひめのみことりょうこふん=仲津山古墳)。藤井寺市内…
大阪府堺市の百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)の前方部を西に向けた大型の前方後円墳がニサンザイ古墳(土師ニサンザイ古墳)。日本最大の前方後円墳である大仙陵古墳(仁徳天皇陵)と第3位の上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)のある百…
大阪府の羽曳野市と松原市にまたがる巨大な前方後円墳が大塚山古墳。全国各地に大塚山古墳があることから河内大塚山古墳(かわちおおつかやまこふん)と称しています。6世紀後半に築造されたヤマト王権の大王墓で、その墳丘長は335m…
推古天皇元年(593年)創建と伝わる大阪市天王寺区にある古刹が四天王寺(してんのうじ)。『日本書紀』によれば、仏教を支持する蘇我馬子(そがのうまこ)と日本古来の宗教を支持する物部守屋(もののべのもりや)との戦いで、仏教を…
大阪・船場(せんば)のビル街に江戸時代の町家が残る適塾(てきじゅく)は、江戸時代の蘭学者・緒方洪庵(おがたこうあん)の私邸で天保9年(1838年)に創設し24年に渡って蘭学を教えた私塾の跡。幕末から明治維新にかけて活躍し…
織田作之助の小説『夫婦善哉』(めおとぜんざい)の舞台としても有名な大阪・千日前、法善寺横丁のシンボル的存在の寺が法善寺。天龍山法善寺は、江戸初期に琴雲上人により山城国宇治に創建され、寛永14年(1637年)に専念上人によ…
法善寺横丁は、大阪・千日前、浄土宗大龍山法善寺の北側の路地の通称で、織田作之助の小説『夫婦善哉』(めおとぜんざい)の舞台としても有名。木文字重兵衛(きもんじじゅうべえ)が明治16年に開いた、ぜんざい屋「お福」の夫婦ぜんざ…
大阪市西区靱本町にある9.7haの総合公園が靱公園(うつぼこうえん)。靱塩干魚市場の跡地で、戦後は占領軍の飛行場として靱飛行場の用地となり、昭和27年の講和条約で大阪市へ返還。昭和30年10月21日に公園としてオープン。…