方違神社
社伝では、10代崇神天皇8年(西暦前90年)創建と伝えられる堺市にある古社が方違神社(ほうちがいじんじゃ)。仁徳天皇陵の北、田出井山古墳(反正天皇陵)に隣接し、河内・和泉・摂津の三国境で三国山、三国丘と称される地に鎮座し…
社伝では、10代崇神天皇8年(西暦前90年)創建と伝えられる堺市にある古社が方違神社(ほうちがいじんじゃ)。仁徳天皇陵の北、田出井山古墳(反正天皇陵)に隣接し、河内・和泉・摂津の三国境で三国山、三国丘と称される地に鎮座し…
大阪府堺市堺区大仙町にある日本最大の前方後円墳が大仙陵古墳(仁徳天皇陵)。百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)の古墳で、北に位置する田出井山古墳、ミサンザイ古墳とともに、「百舌鳥耳原三陵(もずのはらさんりょう)」と呼ばれていま…
大阪府羽曳野市誉田にある古市古墳群を構成する古墳のひとつが誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)。被葬者は判明していませんが、宮内庁により「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代応神天皇の陵に治…
大阪市浪速区の新世界に建つ展望塔。通天閣は天に通じる建物の意で明治の儒学者、藤沢南岳の命名。もともとは明治45年に、歓楽地・新世界の目玉となった娯楽遊園地ルナパークにエッフェル塔を模して建てられたましが、戦時中に鉄材の戦…
大阪府羽曳野市にある墳丘長190mという巨大な前方後円墳が軽里大塚古墳(かるさとおおつかこふん)。古市古墳群のひとつに数えられています。被葬者は明らかでありませんが、宮内庁は「白鳥陵(しらとりのみささぎ)」として第12代…
【2019年3月15日〜運行停止中】 金剛山の大阪府側の山上へと登る千早赤阪村の村営ロープウェイが金剛山ロープウェイ。大阪唯一の村にある全国唯一の村営ロープウェイです。昭和41年に架けられたロープウェイは全長1323m。…
古代の政治の中心は、飛鳥・奈良地域にあったのですが、645年、古代史上で有名な「大化改新」とともに即位した孝徳天皇は、人心を一新して政治を行なうために、古代の国際貿易港である難波津(なにわづ)に近い難波宮に遷都しています…
明治の森箕面国定公園のシンボル的な存在で、「日本の滝百選」に選定された落差33mの美しい滝が箕面大滝(みのおおおたき/箕面の滝、箕面滝)。木々の間から流れ落ちる滝の様子が「蓑(みの)」に似ていることが箕面という地名と、滝…
727(神亀4)年、双子の善仲(ぜんちゅう)と善算(ぜんさん)両上人が草庵を構えたのが創始と伝わる箕面(みのお)の古刹で西国三十三所第23番札所が勝尾寺(かつおうじ/真言宗の寺)。775(宝亀6)年、彌勒寺と号して開山。…
箕面大滝(みのおおおたき)の入口、箕面公園にある瀧安寺は、修験道で知られる本山修験宗の古刹。山号も箕面山(みのおさん)で、箕面の山を修験の地とした歴史を今に伝えています。寺伝によれば、658(斉明天皇4)年、修験道を開い…
京都林泉協会の創立40周年記念事業として大阪城公園の豊國神社に造られた庭園。作庭は、昭和の名園を各地に築いた重森三玲(しげもりみれい/当時の京都林泉協会会長)。晩年の作品で昭和47年に奉納されたもの。秀吉のと大坂城の建つ…
天下を取った豊臣秀吉が祭神の神社。明治12年、豊国神社の大阪別社として中之島(現、大阪市中央公会堂が建つ地)に創建。昭和36年に大阪城公園内(大坂城二の丸)に移築されました。出世開運の社として有名です。
大坂城(大阪城)の天守閣は、天正11年(1583)、天下統一を目指した豊臣秀吉によって築城され、1615(慶長20)年、大坂夏の陣で落城後、1626年(寛永3)年に徳川幕府によって再び築かれたもの。現存する天守閣の石垣や…
大阪の中央に位置する、総面積106.7haの広大な公園。都心にある緑溢れる公園は「大阪みどりの百選」にも選定されている。もともとこの地には一向宗(浄土真宗)本願寺派の拠点・石山本願寺がありましたが、1580(天正8)年の…
家紋の中には、固有の苗字の人だけが用いる専用家紋というものがあり、その家紋の名称の前に特定の苗字が付けられている。 それらは、徳川氏の徳川葵や浅野氏の浅野鷹の羽、真田氏の真田六連銭、武田氏の武田菱、島津氏の島津十文字、柳…
藤原さんは、歴史のなかに度々登場するのだが、案外、身の回りには少ないはず。 全国の藤原さんは30万人。46番目の数だから、東京で暮らしていれば知り合いにはひとり、ふたりといった感じのはず。 しかしながら、佐藤、斎藤、伊藤…
藤井さんといって誰を思い出すだろう? 元チェッカーズのリードボーカル・藤井フミヤ(藤井郁弥)は、福岡県久留米市の出身。 お笑いタレントの藤井隆は、大阪府豊中市の生まれ。 福岡ヤフオク!ドームの15番通路に「藤井ゲート」の…
数ある家紋の中で富士山を家紋に使っているのは、青木さんぐらいだろう。「青木富士」という霞にたなびく富士山の家紋を使っているのだ。 江戸時代の大名は約280家あるのだが、実は、富士山を家紋に使っているのは麻田藩の青木家だけ…